「コプト正教会」の版間の差分

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'''コプト正教会'''(コプトせいきょうかい、[[コプト語]]:'''{{Coptic|Ϯⲉⲕ'ⲕⲗⲏⲥⲓⲁ 'ⲛⲣⲉⲙ'ⲛⲭⲏⲙⲓ 'ⲛⲟⲣⲑⲟⲇⲟⲝⲟⲥ}}'''、[[英語]]:Coptic Christianity、Coptic Orthodox Church)は、[[キリスト教]]・[[非カルケドン派]]([[東方諸教会]])の一つであり、[[エジプト]]で発展した教会。'''コプト教会'''とも。
 
なお、カトリック・コプト教会は[[東方典礼カトリック教会]]であって別の組織である。
 
== 概要 ==
[[Image:Chuck Kennedy - The Official White House Photostream - P060409CK-0199 (pd).jpg|thumb|140px|[[シェヌーダ3世 (コプト教会アレクサンドリア総主教)|シェヌーダ3世]]:コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教]]
[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]を告白し、[[イエスの母マリア|マリア]]を[[神の母]]として崇敬する。『[[マタイによる福音書]]』に聖家族のエジプト逃避の記事がることから、コプト教会にけるマリア崇敬は極めて盛んである。
 
[[単性説|単性論]]を採ると言われることがあるが、コプト正教会は自身の教説が単性論と看做見なされるのを拒絶しており、「単性論教会」を自称しない。[[カルケドン公会議]](第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼び名・分類としては[[非カルケドン派]]がある。
[[相互領聖]]関係(=教派間において、主の晩餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派である[[アルメニア使徒教会]]、[[シリア正教会]]、[[エチオピア正教会]]との間で[[フル・コミュニオン]](完全相互領聖)の関係にある。ギリシャ系の正教会など他のカルケドン諸派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。
 
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== 沿革 ==
[[Image:S F-E-CAMERON 2006-10-EGYPT-ASWAN-0179.JPG|left|thumb|250px|[[アスワン]](エジプト)にる、コプト正教会の聖ミカエル大聖堂の内観。正面に見えるのは[[東方正教会]]とほとんど同様の[[イコノスタシス]]。]]
伝承では[[1世紀]]([[42年]]頃)に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]がエジプト([[アレクサンドリア]])に立てた教会([[アレクサンドリア教会]])である。[[451年]]の[[カルケドン公会議]]の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。
 
現在、エジプト・[[エチオピア]]及び[[エリトリア]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[オーストラリア]]を中心に、総計5千万人のコプト系[[キリスト教徒]]がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。[[20世紀]]に[[エチオピア正教会]]が分離したが、教理上の違いはない。
 
エジプトは憲法で[[信教の自由]]を保障しており、基本的には[[ムスリム]]とコプトの間で差別はいことになっている。エジプトの[[大ムフティー]](高位のイスラム法学者、指導者)であった[[アリー・ゴマア]]は、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とする[[ファトワー|ファトワ]](宗教令)を2007年に出している。これを根拠としてイスラームからコプトへ[[改宗]]する者がわずかながらも出てきている。しかし、少数派という現実と、ファトワがあるとはいえイスラームからコプトへの改宗は不可能ともえるほど難しく<ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2515496/3316304 改宗は長くつらい道のり、エジプトのあるキリスト教徒の苦闘]([[AFPBB News]]、2008年09月13日 22:11)</ref>、事実上コプトからムスリムへの改宗のみが容認されていることから、[[ズィンミー]]制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。[[イスラーム教徒による宗教的迫害]]も参照。
[[Image:Kroeffelbach Koptisches Kloster.jpg|right|thumb|220px|[[ドイツ]]に在るコプト正教会の[[聖堂]]。]]