「猟官制」の版間の差分

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もっとも、当時において猟官制は、必ずしも[[売官制]]や情実主義のように罪悪視されていたわけではなく、むしろ[[絶対王政]]的・中央集権的な[[官僚制]]から近代[[民主主義]]を防衛し、政治における民主的正統(正当)性を確保するために必要な制度であると考えられた点に留意する必要がある。
 
絶対王政下においては、国家の最高責任者である[[国王]]がその側近を重要な公職に任じて[[行政]]を担当させることによって、自己の思い通りの政治を行って国民に強力な指導性を発揮するためには、ときにはとして圧政を敷くことすら当然視されていた。[[市民革命]]を経て[[政党政治]]を獲得した政党の指導者たちは、官僚が国民の直接的な監督下に置かれていないことを危険視し、国民の意思を反映した選挙で勝利して政権を獲得した政党(与党)が認めた官僚以外は排除して、自党支持者に広く公職を開放することによって、選挙によって示された国民の意思に沿った行政が実行されると考えたのである。また、政権政党側にしてもこうした仕組みの方が政権発足後の政権運営においても、また次期選挙に向けての支持者対策としても有利であったことは言うまでもない。
 
また、当時の行政において複雑な専門的知識を必要とする分野は限られており、職務に対する専門性の欠如よりも特定人物の公職在任が長期化することによって行政硬直化することの方が問題視されていたという事情もあった。
 
ただし、民主主義の支持者の全てがこれを支持していたわけではない。初代の[[アメリカ合衆国大統領]]であった[[ジョージ・ワシントン]]は、公職が党派的支配を受けることによって特定の人々だけがその恩恵にあずかり、行政の公平性が喪失することに危惧を抱いており、むしろ[[政党]]そのものに否定的な考え方を抱いていた(実際に、ワシントン政権下のアメリカでは王党派や急進的民主派が政治の舞台から排斥された結果、民主主義国でありながら実態は[[連邦党]](フェデラリスト)の保守的[[共和主義者]]による事実上の[[一党制]]が採られていた)。
 
== 拡大・進展 ==