「山本七平」の版間の差分

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その山本が、最も力を入れて執筆した作品が、『現人神の創作者たち』と『[[洪思翊]]中将の処刑』である。{{要出典範囲|date=2014年7月27日 (日) 16:23 (UTC)|前者は、「そんなに打ち込んでは命がもたないよ」と言われながら執筆されたものであり、後者は、「一番書きたいものを書いてくれ」と請われて執筆したものであった}}。
 
『現人神の創作者たち』は、いかにして[[尊皇思想]]が生まれたかを探求した作品である。山本は、日本に[[亡命]]してきた[[明]]の儒学者[[朱舜水]]を起点とし、[[山崎闇斎]]、[[浅見絅斎]]、[[安積澹泊]]、[[栗山潜鋒]]、[[三宅観瀾]]らの議論を追いながら、尊皇思想が形成されていく様子を描いた。そして、その尊皇思想が、社会全体にどのような影響を与えたかを、[[元禄赤穂事件]]をめぐる当時の言論状況をたどることであきらかにしたのであった。山本は、尊皇思想の影響は今もなお残っているのだと語っている。
 
『洪思翊中将の処刑』は、[[朝鮮人]]でありながら[[帝国陸軍]]で中将まで昇進した洪思翊を扱った作品である。洪は、帝国陸軍の軍人である一方で、[[抗日]]運動家と秘密裡に関係を持ち、その家族を支援するなど(自身が抗日運動に参加することは拒んでいる)、きわめて複雑な生き方を強いられた人物であった。{{独自研究範囲|date=2014年7月28日|山本の洪に対する執着の理由のひとつは、そこにあったと思われる}}。洪は、[[太平洋戦争]]後、[[戦犯]]として処刑されるが、[[軍事法廷]]において一言も発することはなかった。山本は、この作品で、その沈黙の意味をあきらかにしようとしたのであった。