「吉良義安」の版間の差分

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一方、弟の吉良義昭は今川氏の後援を失って孤立し、徳川家康への屈従を余儀なくされていた。永禄5年([[1562年]])、義昭は再起を図って三河の一向宗門徒と結び、徳川氏と戦ったが([[三河一向一揆]])、敗れて三河から逃亡する。このあと、家康から義安が東条西条の吉良氏を統一して領有することが認められた。
 
義安のもとに統一された三河吉良氏は徳川家に仕え、[[吉良義央]]の代に[[元禄赤穂事件]]で改易にされるまで続く。
 
== 註 ==