「戸田城聖」の版間の差分

(42.124.180.208 (会話) による ID:54576900 の版を取り消し 大量除去の理由がわかりませんがとりあえず戻しておきます)
=== 戸田と他幹部との関係 ===
戸田と同郷であった[[石田次男]]は戸田の一念三千論を信じたため、自らが創価学会会長職の後継者ではないとの認識を持つようになる。戸田の死後、一部幹部が石田を後継者として分派を設立し池田に対抗しようとしたが、石田自身がその分裂騒動の火消しに回るなど優柔不断な対応を取り、池田派や池田に反対する派閥からの支持も失っていった。また近年では石田自身が会長職を狙える地位にあったものの病弱でありトップに立とうとする欲望が無かったと評している。池田体制確立後は戸田の親族と同様に創価学会と距離を置くようになった。<ref>週刊文春2010年 12月2日号43、44ページより引用</ref>。
 
=== 政治との関係 ===
戸田は1954年、公明党の元となる創価学会文化部を設置したが、設置に関しては大白蓮華にこう記している。折伏大行進が始まってからは学会の中傷も多く、中には破防法を適用するなんていう官僚もおられた中、苦しい時代もあった。(中略)風向きが変わったのは昨年かな、参議院で選挙があって、するとそれまで学会に批判的な緑風会の支援者がやってきてぜひ選挙で自分の支持する候補者に投票してほしいと頭を下げに来たんですよ。(中略)そしたら今度は右派(社会党)だ、自由党だ、改進党だって来たんですよ。(中略)私は政治に興味がなかったから了承しませんでしたけど、後になって地方は大変だったと聞いた。ある地域では対立する別々の候補者に投票を依頼され、会員が分裂したところもあったと聞く(中略)。このままでは将来大きくなった学会が政治家の選挙のための食い物にされかねない。会員を守るため意見を集約できる場所が必要と考え文化部を設置し、白木君など数名を任命した。政教分離なんて言う輩が出てくるかもしれないが、学会の組織票を狙い投票要請をする政治家自身が政教分離を守っていないのではないか。だから問題はない大いに戦おう<ref>大白蓮華1954年5月号20~22ページより引用</ref>。
 
=== エピソード ===
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