「空中写真」の版間の差分

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[[1878年]]([[明治]]11年)[[西南戦争]]の際に、[[横山松三郎]]が偵察を目的として気球から撮影が試みられたのが日本における空中写真撮影の始めとされている。
 
[[航空機]]からの撮影は、[[1911年]](明治44年)、[[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]]の[[徳川好敏]][[工兵]][[大尉]]が操縦する[[ルイ・ブレリオ|ブレリオ]]式飛行機から同乗の伊藤求己[[中尉]]により撮影を行ったのが最も古い記録とされている。実用の目的で[[組織]]的に撮影されたのは、[[1923年]]([[大正]]12年)の[[関東大震災]]直後に[[下志津陸軍飛行学校|陸軍航空学校下志津分校]]により[[東京]]、[[大阪]]、[[横浜市|横浜]]、北[[伊豆]]の被災状況把握のために撮影が実施された時からである。[[第二次世界大戦]][[戦前|前]]には、[[鉄道省]]の[[新線]]計画以外、ほとんどが地図作成又は軍用目的で空中写真が撮影されていた。
 
世界の[[列強]][[国軍]]の中でも特に帝国陸軍は偵察機の開発に力を入れており、敵地奥深くまで長距離を飛行挺進し、目標地上空では高高度かつ高速をもって写真撮影を行うという[[コンセプト]]のもと開発された、世界初の戦略偵察機である[[九七式司令部偵察機]]を[[戦間期]]に生み出し、第二次大戦期には[[性能]]をより特化させた[[一〇〇式司令部偵察機]]を大々的に運用した。