「光州事件」の版間の差分

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Old jacket (会話 | 投稿記録)
概要を中立的にする。また、後半で出典が多数記載されているところにあった出典不記載のタグをとる。
Nadeorosensei (会話 | 投稿記録)
Old jacket (会話) による ID:56376093 の版を取り消し概要は事件概要であり、暴動か否かの記述は「事件の発端」について掲載すべき
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[[5月18日]]、光州市で大学を封鎖した陸軍空挺部隊とこれに抗議した学生が自然発生的に衝突した。軍部隊・機動隊の鎮圧活動は次第にエスカレートし、また翌19日にはデモの主体も学生から激昂した市民に変わっていった。市民はバスやタクシーを倒してバリケードを築き、角材や鉄パイプ、火炎瓶などで応戦した。21日に群集に対する空挺部隊の一斉射撃が始まると、市民は郷土予備軍の武器庫を奪取して武装し、これに対抗した。戒厳軍は一時市外に後退して、光州市を封鎖(道路・通信を遮断)、包囲した。
 
{{fact|マスコミは軍部の完全統制の下で何も報道しておらず|date=2015年8月}}韓国政府は事件は金大中が市民・学生らを扇動したことにより起こされたとの立場いう風説とっ軍部は意図的に流した。一方しかし、[[ニューヨーク・タイムズ]]の[[ヘンリー・スコット・ストークス]]東京支局長を始めとして、金大中は「処刑されるべきではない」との社説を掲げ「民主化運動の闘士」であるとの後押しを行った他<ref name="example">{{cite news |title= NYタイムズも欺かれた「偽物」|author= |newspaper= 産経新聞|date= 2015-8-1|url= http://www.sankei.com/premium/news/150801/prm1508010018-n7.html|accessdate=}}</ref> また、[[ドイツ公共放送連盟|ドイツ公共放送]](ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ウィルゲン・ヒンツペンター<ref>{{cite news |title= ‘독재폭압’ 전세계에 고발(‘独裁暴圧’全世界に告発)|author= |newspaper= [[ハンギョレ]]|date= 2003-11-28|url= http://legacy.www.hani.co.kr/section-005000000/2003/11/005000000200311282229396.html|accessdate=2013-3-3}}、[http://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9C%84%EB%A5%B4%EA%B2%90_%ED%9E%8C%EC%B8%A0%ED%8E%98%ED%84%B0]</ref>など海外メディアの特派員により、ドイツなど諸外国では事件の経過について詳しく報道されていた。しかし、[[2000年]]には、ストークスは当時のニューヨーク・タイムズも自身も金大中に騙されていたとして、事件は金大中が大統領になることを狙って起こした自作自演の暴動であったとしたためた「光州暴動」を共著出版している。<ref>[http://www.sankei.com/premium/news/150801/prm1508010018-n8.html ヘンリー・S・ストークス(77)=元NYT東京支局長=「反日プロパガンダに惑わされず、誇りある国になってほしい」] 産経新聞 2015.8.1</ref>[[2013年]]には、韓国の[[TV朝鮮]]、[[チャンネルA]]が[[脱北者]]の元[[北朝鮮]][[特殊部隊]][[将校]]イム・チョンヨンが600人の北朝鮮ゲリラが事件に介入したことを告白する報道を行っている。<ref>[http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/14775.html ‘光州事件への北韓軍介入’報道は看過できない] [[ハンギョレ]] 2013.05.23</ref><ref>[http://japanese.joins.com/article/768/171768.html 「光州事件に北朝鮮が介入」…歴史わい曲めぐる議論広がる(1)] 中央日報 2013年05月20日</ref> これに対して、ハンギョレ、中央日報はねつ造であるとした立場を取っており、<ref>[http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/14775.html ‘光州事件への北韓軍介入’報道は看過できない] [[ハンギョレ]] 2013.05.23</ref><ref>[http://japanese.joins.com/article/768/171768.html 「光州事件に北朝鮮が介入」…歴史わい曲めぐる議論広がる(1)] 中央日報 2013年05月20日</ref>事件について統一された結論はない。
 
この時期の光州市は無政府状態であったが、市民による自治が機能して治安と秩序を維持した。地元の有力者などで構成された市民収拾対策委員会は戒厳軍側と交渉するも妥結に至らず、指導部は闘争派と協商派に分かれて分裂した。結局、一部闘争派を残して自主武装解除を行い、この情報から市民に占拠された全羅南道庁に対する鎮圧命令が下った。27日抗争指導部を率いていたユン・サンウォンを含む市民軍の多くが射殺され、鎮圧作戦は終了した。人口75万の光州市に投入された総兵力数は2万に至った。
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[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)では、光州事件を軍事ファッショ集団の圧政に反対する人民抗争であるとの観点から「'''光州人民蜂起'''」({{lang|ko|광주인민봉기}})と呼ばれる事が多い<ref>「[http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/04/0804j0526-00003.htm 光州抗争28年 [[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]論説 「李政権、北南関係に障害」]」[[2008年]][[8月26日]]付[[朝鮮新報]]</ref>。それに加えて、[[朝鮮の声放送]]の日本語放送では「'''クァンジュ大虐殺'''」という呼称も用いられている。
 
== 未解決問題 ==
== 事件の発端についての議論 ==
{{出典の明記|section=1|date=2008年4月}}
1988年、韓国国会で開かれた聴聞会では、5月21日13時に道庁前で行われた群衆への発砲を誰が命令したのかが大きな争点となった。全斗煥、[[鄭鎬容]]などはこれを否認しており、発砲が軍上層部の事前承認によるのか、現場の指揮官の判断によるのかは、未だ明らかとなっていない。18日から19日に行われた戒厳軍の無差別鎮圧が、デモ群集だけでなく女性や労弱者を含む市民を対象にしていたことも究明の余地を残している。事件の犠牲者数についても、政府発表と諸団体の主張に隔たりが存在している。
 
事件の発端となったデモが、純粋な市民運動でなく、北朝鮮やそのシンパが起こしたものであると主張する意見が韓国の保守右翼系からしばしば提起されている。これは当時の軍事政権の公式見解であったが、1995年、事件の責任者らが国家内乱罪として処罰をうけ、事件の責任者の一員である[[盧泰愚]]自身が大統領に就任してからこの事件を民主化運動として認め事実にもかかわらず、根強く主張されている。この手の主張は朝鮮戦争以来の反共イデオロギーに沿って軍事政権が宣伝したものであるうえ、軍事政権支持派による誹謗として一般に批判をうけている。2006年に朝鮮日報は、大隊規模の北朝鮮軍が潜入して光州事件の戦闘に参加していたとする北朝鮮の元軍人の証言<ref>
{{cite news
|first =
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}}
</ref>した。
 
ニューヨーク・タイムズの東京支局長であったトークスは1980年当時のニューヨーク・タイムズも自身も金大中に騙されていたとして、事件は金大中が大統領になることを狙って起こした自作自演の「暴動」であったとする自身の考えをまとめた「光州暴動」を共著出版している<ref name="example"/>
== 光州事件を題材にした作品 ==