「メコンデルタ」の版間の差分

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チャム人を除去;1700年のハーティエンはまだ港口国の領域;南進を進めた華人を記述;ほか
出典など
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メコンデルタでも、河川が氾濫して土砂を堆積させる[[自然堤防]]が、[[カントー]]や[[ヴィンロン]]あたりまでに形成され、よく発達している。堤防上では集約的な農業が営まれている。この自然堤防と山塊にはさまれた地形として、[[チャウドック]]や[[ロンスエン]]の低地があげられ、雨季に広い範囲で洪水の被害が起こる<ref>柳沢雅之「大和平野、水と土」/ 今井昭夫・岩井美佐紀編著『現代ベトナムを知るための60章』明石書店 2004年 75ページ</ref>。
 
全般的には水路を中心とした大平野であるが、北部には[[トゥクズプサム山]]や[[サム山:vi:Bảy Núi|{{lang|vi|Bảy Núi}}]]にみられるような100〜300m程度の独立した山がいくつか存在する。
 
=== メコン川 ===
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== 歴史 ==
この地域は18世紀ごろまでは[[クメール]]人の土地であった。[[明|明王朝]]の崩壊により亡命してきた陳上川楊彦迪チャユオン・トゥオン・エンック、[[:vi:TrầnDương ThượngNgạn XuyênĐịch|{{lang|vi|TrầnDương ThượngNgạn XuyênĐịch}}]])、楊彦迪陳上川ユオチャン・トゥオン・ックエン、[[:vi:DươngTrần NgạnThượng ĐịchXuyên|{{lang|vi|DươngTrần NgạnThượng ĐịchXuyên}}]])などの[[ホア族|華人]]と、それを利用したベトナムの主要民族である[[キン人]]の[[南進]]により、1700年ごろまでにジャーディン(現在の[[ホーチミン市]])、[[ミトー]]、[[ヴィンロビエホア]]などの都市部が[[広南国]]の領域に加わった<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=小倉貞夫 |authorlink= |coauthors= |year= |title=物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム |publisher=中公新書 |page=198 |id= |isbn=4-12-101372-7 |quote= |comment=他に黄進高の名もあるが、これは黄進(Hoàng Tiến)の誤りと思われるので記載せず}}</ref>。また、キエンザン省およびカマウ省周辺には、[[鄚玖]](マック・クゥ、{{lang|vi|Mạc Cửu}})とその跡継ぎの鄚天賜(マック・ティエン・トゥー、[[:vi:Mạc Thiên Tứ|{{lang|vi|Mạc Thiên Tứ}}]])による華人の半独立国なども興った。このため、今日でもクメール人や華人の人口が多い。
 
その後カンボジアをめぐるシャムとの戦争や、[[西山朝]]と[[広南阮氏]]復興勢力との戦いなどを経て、次第に全域がキン人の支配する領域となっていった。19世紀初頭には[[阮朝]]がほぼ現在の国境線に近い領域を版図とした。
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19世紀中頃には[[フランス]]による植民地化が進み、1862年のサイゴン条約で東部が、1867年6月には西部もフランス領となり、フランス領インドシナのコーチシナ植民地となった。
 
[[ベトナム戦争]]においては、メコン川の細かな支流に広がるジャングルや、カンボジア国境に多い小高い山に拠点を置いた[[南ベトナム解放民族戦線]](''NLF'')と[[アメリカ軍]]との戦闘が繰り広げられた。アンザン省の[[トゥクズプ]]や、ドンタップ省の[[セオクイット]]などに戦争遺跡がのこっている
 
== 経済・産業 ==