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東京新聞時代は同紙のエース記者として活躍すると同時に、アルバイトで無署名記事を多いときには週刊誌など26誌で執筆した。[[1963年]]に初単行本『プロ野球を科学する』を出版。東京新聞社在籍中よりアルバイトで他誌の『[[週刊サンケイ]]』などに藤沢剛のペンネームで執筆。[[1969年]]に創刊された[[夕刊フジ]]には無署名で「ボールの内幕」を連載し、これが好評だったことから正式に記者として移籍したいと打診され、入社後は編集局長待遇・野球評論家に就任。後に同紙評論家を務めた。アルバイトを黙認する自由な気風だった夕刊フジ時代は年に2冊から5冊のペースで著書を出版し、いずれも好セールスを記録して、[[2008年]]までに計62冊を出した<ref name="murase" />。1970年代後半から、[[FNNニュースレポート6:00]]の2代目スポーツコーナー司会を、夕刊フジから出向する形で参加した。
[[2000年代]]に大病を患って取材が困難となり、晩年にはエピソードの使い回しが多くなり、売り上げも低迷。[[2008年]]に[[PHP研究所]]から出た『プロ野球 運命の引き際』が最後の著書である。この本を出した後、近藤の著書
== 人物 ==
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