「台湾沖航空戦」の版間の差分

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同航空戦では戦果を大きく誤認している。誤認の原因としては以下が挙げられる。夜間攻撃に予定されていた照明隊が吊光投弾使用の困難からほぼ実施されず、夜間索敵となったが、接触機もなく、攻撃避退、戦果確認が至難であり、自爆機の海面火災も誤認の原因となった<ref>戦史叢書45 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448-449頁</ref>。捷号作戦では夜間攻撃が重視されていたが、元来夜間攻撃は目標戦果認識困難である上、練度も上達する時間的余裕がなかった。<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 721-722頁</ref>米側のハルゼーも攻撃を受けた際に米艦隊が炎上した様子を見て大損害を受けたと誤認しており、日本の米機動部隊撃滅報告も無理のないことだった<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 722頁</ref>。
 
10月16日には索敵機が台湾沖で空母7隻を含むアメリカ機動部隊を発見したとの報告があった。壊滅したはずの米戦力が発見されると連合艦隊(日吉)司令部で、連合艦隊航空参謀[[淵田美津雄]]中佐、軍令部航空参謀[[鈴木栄二郎]]中佐、第二航空艦隊兼T攻撃部隊航空参謀[[田中正臣]]少佐、連合艦隊情報参謀[[中島親孝]]少佐の4人で再検討が行われた。1949年7月31日に[[淵田美津雄]]が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]からの質問に答えた陳述書によれば、田中を招致して、淵田と鈴木で田中の持参した資料を検討し、中島の意見も求め、その結果いくら上算しても空母4隻撃破程度で撃沈はまずあるまいと結着した<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 716頁</ref>。軍令部で現地に派遣調査させた[[三代辰吉]]も同様の判断をした<ref>戦史叢書45 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448頁</ref>。連合艦隊参謀[[淵田美津雄]]大佐によれば、誤認について参謀長申進を以て注意をしており、10月17日「[[捷一号作戦]]警戒」発令においても敵空母10隻健在のもと対処するように通達したため。この時点で海軍は、連合艦隊、軍令部、各航空隊も敵空母健在に到るまで大戦果が誤認であることを共通の認識判断していた<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 728頁</ref>。戦後、[[田中正臣]]はこの再検討の際に話し合われた内容について「覚えていない。そういうこと(忘れてしまうこと)もある」と話している<ref>[[日本放送協会|NHK]]製作[[テレビ番組]]『幻の大戦果 大本営発表の真相』インタビュー</ref>。
 
戦果誤認は以前から問題になっており、[[中澤佑]]軍令部部長によれば、連合艦隊司令部の報告から不確実を削除し、同司令部に戦果確認に一層配慮するように注意喚起していたが、同司令部より「大本営は、いかなる根拠をもって連合艦隊の報告した戦果を削除したのか」と強い抗議電が参謀長名で打電され、結局反論なくうやむやになっていた<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁</ref>。軍令部参謀[[藤森康男]]によれば、疑念もあり軍令部作戦課はさらに検討を加えたが、さしあたり公的には現地部隊報告を基礎に資料作成するほか名案もなかった<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 447頁</ref>。
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陸軍では、[[大本営]]情報参謀であった[[堀栄三]]の回想によれば、フィリピン出張の途上で台湾沖にて航空戦中であることを耳にして、「今までの戦法研究で疑問符のつけてある航空戦だ、この眼で見てみよう」と思い立ち、[[鹿屋航空基地|鹿屋]]で実際の航空兵から戦果確認方法について聞き取り調査を行うが戦果に対しての疑問は解消できず、「当該戦果は如何に多くても数隻程度と推測」と大本営陸軍部第二部(情報)長宛に打電した。<ref>「大本営参謀の情報戦記」 160頁-164頁</ref>その後作戦課へ報告されたが、省みられることがなかったという。
 
さらに、大本営海軍部によって大戦果が誤認であったと再判定された事実は、20日に開かれたフィリピン防衛戦に向けた陸海軍合同作戦会議においても陸軍伝達されなかった。
 
陸軍は誤認戦果と知らずにないまま[[ルソン島]]での迎撃方針を、レイテ島での決戦に戦略を大きく変更し、[[第1師団 (日本軍)|第1師団]]、[[第26師団 (日本軍)|第26師団]]をはじめとする決戦兵力をレイテ島へ増派した。しかし、第1師団を除く大半が輸送途中に空襲を受け、重装備や軍需品を海上で喪失、懸命に積み上げてきた決戦準備は水の泡となった。さらに、ルソン島で兵力が引き抜かれた穴を補うため、台湾から[[第10師団 (日本軍)|第10師団]]をルソン島へ投入、玉突きで沖縄から[[第9師団 (日本軍)|第9師団]]を台湾へ移動させた。こうして結果的に[[沖縄戦]]での戦力不足の原因ともなった。
また、海軍発表の戦果に疑問のあることが堀参謀から第14方面軍司令官の[[山下奉文]]大将に報告され、第14方面軍司令官として赴任する前の「決戦はルソン島で行なう」という事前取り決めを幻の大戦果に浮かれて急遽変更した大本営陸軍部第一部(作戦)との方針対立を招く一因となった。<ref>「大本営参謀の情報戦記」 186頁</ref>