「鈴木重義 (左衛門尉)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
'''鈴木 重義'''(すずき しげよし、[[生没年不詳]])は、[[奈良時代]]の[[公卿]]・[[神職]]。'''穂積重義'''とも。[[穂積氏]]の一族。官位は[[左衛門尉]]、[[従三位]][[近衛中将]]。
26 ⟶ 4行目:
重義は、「紀伊国名草藤白の県主、従三位中将鈴木左衛門尉穂積重義」と称され、[[勅使]]として湯浅権太夫玄晴らと[[熊野神]]を奉じ、[[紀伊国]]から船団を組み[[陸奥国]][[本吉郡]]唐桑村細浦に到着し、熊野本宮神を置いた(後の[[岩手県]][[一関市]]の[[室根神社]])。重義らは[[多賀城]]にいた[[鎮守府将軍]]・[[大野東人]]らに出迎えを受け、[[勅書]]を渡した。このとき、大野東人は白馬17騎の諸郷主を召集してこの神輿を出迎えさせ、鈴木重義、湯浅玄晴ら[[公卿]]のために宿所を設けたとされる。
また、鈴木重義に該当する人物は穂積姓藤白鈴木氏の系図になく、[[鈴木重家]]の子で[[陸奥国]]に住した重義のことであるとも云われる。古館家が後裔を称する。
== 参考文献 ==
|