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[[2013年]]1月には、戸田の長男の未亡人により、戸田の長男が生前に「今の創価学会は戸田が作り上げた学会とは大きく異なり、まるで池田ファンクラブのようだ」と批判。未亡人の証言によれば、創価学会は戸田の死後、池田に「あげた」ものであり、現在の創価学会は父・城聖をはじめとした戸田家とはまったく無関係だと証言した<ref>週刊新潮 2013年2月14日号 45P〜46P</ref><ref>「慧妙」平成25年3月1日付</ref>。
=== エピソード ===
* 愛煙家、酒好きとして知られ、小説『[[人間革命]]』では、出獄後、帰宅した際に、久しぶりの酒やつまみに舌鼓を打ったり、仕事の合間に煙草を美味そうに吸う描写がある(逆に、弟子の[[池田大作]]は、以前は喫煙家ではあったが、下戸である)。また、会長時代はほろ酔い状態で座談会に突如現れて信者からの質問に答えるなど、気さくな一面があった{{要出典|date=2015年8月}}。
* 会長時代、創価学会員が[[折伏]]の際、他宗派の家の仏壇を壊すという噂が流れたことがあったが、戸田は映画ニュースの中で「仏壇を壊す…、そんな馬鹿なことがあるわけがない」と否定した{{要出典|date=2015年8月}}。
* 学会員が犯した犯罪には厳しい態度で接した。池田、小泉など学会員50名近くが[[公職選挙法]]違反で逮捕された大阪事件では、参謀室長[[池田大作]]、理事長[[小泉隆]]の両幹部を除く40数名を、逮捕されたその日に戸田会長の名で除名処分にしている。
* 会社の経営に失敗するなど金銭面の苦労は多々あったが、金銭に執着はなく、死去するまで借家住まいだった{{要出典|date=2015年8月}}。
* 戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとされており、特定の個人を後継者に指名した記述は一切ない<ref>創価学会ホームページ</ref>。ただし戸田は、自身の夢の中に[[日蓮]]が現れ「法華経を説くのはお前じゃない。将来、神奈川県から若い人が現れ一念三千論を説く『その人』だ」と叱咤を受けたと講演会で話したこともある。以降、戸田は「その人」と会う次世代のことを「福子」と呼び、「福子のために頼む。『その人』の学会だ」と予言するようになったという<ref>今、知らなければならない重大な真実を語る メジャーな人々VOL.1(ヒカルランド)</ref>。この後、戸田は一念三千論を説きはじめるが<ref>大白蓮華 2010年4月号「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に</ref>、戸田の死後、一部幹部が一念三千論を大阪事件で無罪となった池田と結びつけ、[[池田本仏論]]を発展させた<ref>池田大作 著 『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、pp. 74-75</ref>。{{main|池田大作本仏論}}
===社会貢献===
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