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[[2013年]]1月には、戸田の長男の未亡人により、戸田の長男が生前に「今の創価学会は戸田が作り上げた学会とは大きく異なり、まるで池田ファンクラブのようだ」と批判。未亡人の証言によれば、創価学会は戸田の死後、池田に「あげた」ものであり、現在の創価学会は父・城聖をはじめとした戸田家とはまったく無関係だと証言した<ref>週刊新潮 2013年2月14日号 45P〜46P</ref><ref>「慧妙」平成25年3月1日付</ref>。
 
=== 戸田と他幹部との関係 ===
戸田と同郷であった[[石田次男]]は戸田の一念三千論を信じたため、自らが創価学会会長職の後継者ではないとの認識を持つようになる。戸田の死後、一部幹部が石田を後継者として分派を設立し池田に対抗しようとしたが、石田自身がその分裂騒動の火消しに回るなど優柔不断な対応を取り、池田派や池田に反対する派閥からの支持も失っていった。また近年では石田自身が会長職を狙える地位にあったものの病弱でありトップに立とうとする欲望が無かったと評している。池田体制確立後は戸田の親族と同様に創価学会と距離を置くようになった。<ref>週刊文春2010年 12月2日号43、44ページより引用</ref>。
 
=== 政治との関係 ===
戸田は1954年、公明党の元となる創価学会文化部を設置したが、設置に関しては大白蓮華にこう記している。折伏大行進が始まってからは学会の中傷も多く、中には破防法を適用するなんていう官僚もおられた中、苦しい時代もあった。(中略)風向きが変わったのは昨年かな、参議院で選挙があって、するとそれまで学会に批判的な緑風会の支援者がやってきてぜひ選挙で自分の支持する候補者に投票してほしいと頭を下げに来たんですよ。(中略)そしたら今度は右派(社会党)だ、自由党だ、改進党だって来たんですよ。(中略)私は政治に興味がなかったから了承しませんでしたけど、後になって地方は大変だったと聞いた。ある地域では対立する別々の候補者に投票を依頼され、会員が分裂したところもあったと聞く(中略)。このままでは将来大きくなった学会が政治家の選挙のための食い物にされかねない。会員を守るため意見を集約できる場所が必要と考え文化部を設置し、白木君など数名を任命した。政教分離なんて言う輩が出てくるかもしれないが、学会の組織票を狙い投票要請をする政治家自身が政教分離を守っていないのではないか。だから問題はない大いに戦おう<ref>大白蓮華1954年5月号20~22ページより引用</ref>。
 
=== エピソード ===
* 愛煙家、酒好きとして知られ、小説『[[人間革命]]』では、出獄後、帰宅した際に、久しぶりの酒やつまみに舌鼓を打ったり、仕事の合間に煙草を美味そうに吸う描写がある(逆に、弟子の[[池田大作]]は、以前は喫煙家ではあったが、下戸である)。また、会長時代はほろ酔い状態で座談会に突如現れて信者からの質問に答えるなど、気さくな一面があった{{要出典|date=2015年8月}}
* 会長時代、創価学会員が[[折伏]]の際、他宗派の家の仏壇を壊すという噂が流れたことがあったが、戸田は映画ニュースの中で「仏壇を壊す…、そんな馬鹿なことがあるわけがない」と否定した{{要出典|date=2015年8月}}
* 学会員が犯した犯罪には厳しい態度で接した。池田、小泉など学会員50名近くが[[公職選挙法]]違反で逮捕された大阪事件では、参謀室長[[池田大作]]、理事長[[小泉隆]]の両幹部を除く40数名を、逮捕されたその日に戸田会長の名で除名処分にしている。
* 会社の経営に失敗するなど金銭面の苦労は多々あったが、金銭に執着はなく、死去するまで借家住まいだった{{要出典|date=2015年8月}}
* 戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとされており、特定の個人を後継者に指名した記述は一切ない<ref>創価学会ホームページ</ref>。ただし戸田は、自身の夢の中に[[日蓮]]が現れ「法華経を説くのはお前じゃない。将来、神奈川県から若い人が現れ一念三千論を説く『その人』だ」と叱咤を受けたと講演会で話したこともある。以降、戸田は「その人」と会う次世代のことを「福子」と呼び、「福子のために頼む。『その人』の学会だ」と予言するようになったという<ref>今、知らなければならない重大な真実を語る メジャーな人々VOL.1(ヒカルランド)</ref>。この後、戸田は一念三千論を説きはじめるが<ref>大白蓮華 2010年4月号「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に</ref>、戸田の死後、一部幹部が一念三千論を大阪事件で無罪となった池田と結びつけ、[[池田本仏論]]を発展させた<ref>池田大作 著 『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、pp. 74-75</ref>。{{main|池田大作本仏論}}
* 妹の娘は、[[渡辺淳一]]の小説『阿寒に果つ』のモデルになった画家[[加清純子]]である。
 
===社会貢献===