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{{出典の明記|date=2015年8月}}
{{日本の内閣記事|いしばしないかく|55|石橋湛山|[[1956年]](昭和31年)|12月23日|[[1957年]](昭和32年)|2月25日|画像=[[Image:Ishibashi cabinet.jpg|250px]]|画像説明=石橋内閣}}
 
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== その他 ==
* 石橋首相が就任してまもなく病気に罹ったため、2ヶ月あまりで[[岸信介]]に自民党総裁の座を譲って退陣。在任65日は[[東久邇宮内閣]]、[[第3次桂内閣]]、[[羽田内閣]]に次ぐ4番目の短さ。
* 内閣総理大臣が国会で一度も答弁や演説<ref group="注釈">第26回国会での内閣総理大臣[[施政方針演説]]は、岸信介外務大臣が代行した。</ref>をしなかった内閣は日本国憲法下では石橋内閣が唯一である。
 
== 参考文献 ==
* [[秦郁彦]]編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』[[東京大学出版会]]、2001年。
 
== 脚註出典 ==
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== 注釈 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 外部リンク ==