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'''山名 教豊'''(やまな のりとよ、? - [[応仁]]元年([[1467年]]))は[[室町時代]]の[[守護大名]]。父は[[山名宗全]](持豊)。
 
[[宝徳]]2年(1450年)、父の宗全より家督を譲られる。[[康正]]元年(1455年)5月、宗全が失脚した際に[[赤松則尚]]が播磨奪回をはかり山名領へ侵攻すると、弟で[[播磨国]][[室山城]]主の[[山名政豊]]の援軍として駆けつけ、赤松軍を備前へ追い払った。
 
[[畠山家]]の内紛に際しては、畠山義就を支持する父の宗全に難色を示しており、山名家の対立も[[応仁・文明の乱]]へ影響する。1467年に父に先立って死去し、家督は[[山名政豊|政豊]]が継いだ。
 
== 関連項目 ==
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[[Category:室町時代の人物|やまな のりとよ]]
[[Category:山名氏|のりとよ]]
[[Category:1467年没|やまな のりとよ]]