「那智 (重巡洋艦)」の版間の差分

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海峡へ向かう志摩艦隊は時雨から艦名を問われて『われ那智』と返答する<ref name="捷号作戦失敗251">[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]251頁</ref>。志摩長官は『那智の後に続け』と命じたが<ref>[[#時雨詳報(捷号)]]p.37『0441|那智|三部隊|那智ノ後ニ就ケ』</ref>、時雨は『舵故障中』と返答して<ref>[[#時雨詳報(捷号)]]p.37『0445|時雨|那智|我舵取機械故障』</ref>、単艦で避退していった<ref name="捷号作戦失敗251"/>。4時15分、那智のレーダーが方位25度、距離11kmに敵艦らしき目標2つを探知、那智、足柄は各艦魚雷8本を発射した<ref name="捷号作戦失敗251"/><ref>[[#那智武蔵日誌(捷号)]]p.11『水雷科|九三式魚雷一型改二|八|戦斗ニ依リ消耗』</ref>。アメリカ軍はヒブソン島で日本軍の魚雷2本を発見しているため、那智、足柄は島に向けて魚雷を撃ったとみられるが、雷跡を視認して報告したアメリカ軍駆逐艦部隊も存在する<ref name="捷号作戦失敗251"/>。
 
雷撃後の那智は炎上中の西村艦隊の重巡最上の前方を通過しようとしたが、停止したと思われていた最上は速力8ノットで前進しており、両艦は同航体勢で衝突した<ref>[[#最上詳報(捷号)]]p.10『0415 2YBノ突入ヲ認ム 那智ハ最上ヲ炎上停止セルモノト認メ北方ニ向ケ発射後面舵反転最上ノ前方ヲ脱過セントセルニ最上ノ右舷前部ニ同航對勢ニテ觸衝セリ(直ニ離ル)』</ref>。最上は那智に対しメガフォンで舵故障と艦長副長戦死の状況を伝達した<ref name="捷号作戦失敗251"/>。衝突による最上の損傷は軽微だったものの、那智は艦首を損傷し<ref>[[#那智武蔵日誌(捷号)]]p.9『10.25|艦首水線部外鈑/揚錨機室/二番高角砲波除及旋回盤外鈑|約15米切断湾曲/浸水/破壊|「レイテ」湾夜戦ニテ最上ト衝突|11.2.103工作部ニテ応急修理完了/11.2排水完了/現状ノ儘』</ref>、最大速力約18-20ノットに低下してしまう<ref>[[#捷1号作戦2YB作戦経過概要]]p.7『0430頃最上艦首ニテ那智左舟首ヲ觸接(交角約10度)足柄ハ外側ヲ避航、那智ハSp18ktニ減退、揚錨機室浸水舟首材大破、尚舵室ニ浸水アリ』</ref>。志摩長官は突入中止を決定、4時25分に『当隊攻撃終了、一応戦場を離脱して後図を策す』と打電する<ref name="捷号作戦失敗251"/>。那智、足柄は扶桑の残骸のそばを通過、再び時雨と遭遇して合流を指示したが、時雨は続行できなかった<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]252頁</ref>。また、最上に対しては曙が護衛についた<ref>[[#最上詳報(捷号)]]p.11『湾口ニテ2YBヲ発見(将旗)那智ヨリ曙ヲ護衛艦トシテ派遣セラル』</ref>。第一水雷戦隊司令官[[木村昌福]]少将以下司令部は阿武隈より霞に移乗し、阿武隈は潮の護衛下で退避した<ref>[[#霞詳報(捷号)]]p.5『0705阿武隈ニ横付司令部移乗|阿武隈ニ潮、最上ニ曙護衛』</ref>。夜が明けると、志摩艦隊と西村艦隊残存艦はアメリカ軍魚雷艇群、アメリカ軍水上艦艇、アメリカ軍機動部隊艦載機、アメリカ軍基地航空隊の反復攻撃を受け、西村艦隊の駆逐艦朝雲が米艦隊の砲撃で沈没、最上も空襲により25日午後1時に、阿武隈も26日の空襲で沈没した。一方那智以下志摩艦隊はマニラを目指して避退中、志摩長官は栗田艦隊(第一遊撃部隊)から落伍・航行不能となっていた重巡洋艦[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]]を発見し、足柄、霞に救援を命じた<ref>[[#捷号詳報(比島方面決戦)]](6)p.10『1330|霞足柄《2YB》ハ熊野ニ合同警戒ニ當ル』</ref>。那智、不知火は14時にコロン湾に着、熊野、足柄、霞は16時28分にコロン入泊を果たした<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]406頁</ref>。だが不知火は第十六戦隊([[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]]、[[浦波 (吹雪型駆逐艦)|浦波]])救援のためコロンを出撃、両艦捜索中に空襲を受け撃沈された。
 
[[サミュエル・モリソン]]は著書「モリソンの太平洋海戦史」の中で本海戦について『日本海軍がこの戦闘で何をもって慰めとするかの答えはむつかしい。彼らの雷撃の技量は1943年の標準に及ばず、砲撃の効果もきわめて小さかった。シーマンシップさえ低下したことは那智と最上の衝突が示している。戦闘全体を通じて最も知的な行為は、志摩長官が避退命令を出したことだった。』と評している<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]265頁</ref>。栗田艦隊、志摩艦隊、小沢機動部隊、基地航空隊の連繋は機能せず、その中で[[扶桑型戦艦]]2隻を投入しての局地夜戦は、[[第三次ソロモン海戦]]の失敗を繰り返して終わった<ref>[[#阿武隈詳報(捷号)]]p.34『一.戦艦ヲ局地夜戦ニ使用スルコトノ不可ナルコトハ既ニ「サボ」島沖海戦ニ於テ経験済ナルガ捷一号作戦ニ於テ漫然此ノ過誤ヲ繰リ返セルハ誠ニ遺憾千萬ナリ』</ref>。