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[[江戸時代]]には<!--[[黄檗宗]]の開祖・[[隠元]]の来日などによって[[禅|禅宗]]や[[真言宗]]、天台宗の各宗派が中国系の[[具足戒]]を伝え、-->真言宗では「正法律」を唱えた[[慈雲]]尊者、天台宗では天皇から師として仰がれた[[豪潮]]律師らの活躍により日本でも一時期、正式な出家の戒律と僧伽がごく一部では復活したが、広まりはなかった。
 
[[明治時代]]になると、[[明治5年]][[4月25日]]公布の[[太政官布告]]第133号「'''[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/{{NDLDC|788366/7}} 僧侶肉食妻帯蓄髪等差許ノ事]'''」にて、僧侶の妻帯・肉食等を公的に許可し、それが近代の[[文明開化]]の一環として好意的に受容されたことで、ますます在家と出家の区別は有名無実化した。
 
なお、現在の日本では2度に亘る[[世界大戦]]の影響によって、それ以降は[[破戒僧]]という言葉も[[廃語|死語]]となり、「仏教としての僧侶」における立場よりも、釈尊の教えや仏教の戒律からは逸脱した[[葬式仏教]]に由来する、個人の信仰によらない「職業としての僧侶」が定着した。一応は[[剃髪]]した僧侶が多いとされるが、[[浄土真宗]]を先例として中に剃髪せず、ごく一般的な髪型をしている者も数多く存在する。また、仏教では本来、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者を経済的に資助する者とされて、出家の精神的優位が説かれたが、[[紀元前1世紀]]頃に始まった[[大乗仏教]]においては、[[菩薩]](ぼさつ)による[[衆生]]済度(しゅじょうさいど)の観点から、在家の意義も積極的に認めた。