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[[孝謙天皇|称徳天皇]]はこの地の出身の僧・[[道鏡]]を寵愛し、太政大臣禅師さらに法王に任じ、天皇に準じた待遇を与えた。
 
[[765年]]([[天平神護]]元年)[[紀伊国|紀伊]][[行幸]]に際し、行宮を設けて立ち寄ると、[[弓削寺]]に参詣した。[[769年]](神護景雲3年)[[和気清麻呂]]の[[宇佐八幡宮神託事件]]直後、離宮を建て由義宮とした。離宮は道鏡の郷里である若江郡を中心に、[[高安郡]]、[[大県郡]]の広範囲にまたがって設営された。河内国を[[河内国司|河内職]]と改め、特別な行政地域とし、長官に[[藤原百川|藤原雄田麻呂]](後の百川)を[[河内国司|河内大夫]]に任じた。
 
称徳天皇は[[770年]](神護景雲4年)2月から4月にかけてに由義宮に行幸され、そのときに船連浄足ら帰化人の男女230名余が歌垣を催したと[[続日本紀]]に記されている。