「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

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'''酒匂'''(さかわ)は、[[太平洋戦争]]中に建造された[[大日本帝国海軍|大日本帝国海軍(日本海軍)]]の[[軽巡洋艦]]で、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる[[酒匂川]]からとられている<ref>[[#聯合艦隊軍艦銘銘伝]]p.131。</ref>。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として[[七尾湾]]にて無傷で残存していた。終戦後は復員船として活動した。最終的にアメリカ軍の[[核実験|原爆実験]]([[クロスロード作戦]])の標的艦となり、波乱の艦歴に幕を閉じた。
 
== 艦歴 ==
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=== ビキニ環礁へ ===
1946年2月25日、特別輸送艦の指定を解除された<ref>[[#公報昭和21年3月]]p.1『内令第三二號|元駆逐艦 冬月、元第百九十六號海防艦 右特別輸送艦トシ佐世保地方復員局所管ト定ム|横須賀地方復員局所管 特別輸送艦 酒匂 右特別輸送艦ヲ解ク|昭和二十一年二月二十五日第二復員大臣』</ref>。その後、[[核実験]]([[クロスロード作戦]])の標的艦として[[戦艦]][[長門 (戦艦)|長門]]などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された<ref name="軽巡25隻253">[[#軽巡二十五隻]]253-254頁『異郷に眠る新鋭艦への思慕』</ref>。日本帝国海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた<ref>アメリカと日本のタービンの操作手順の違いによって、この誤動作は起きた</ref>。無負荷となった巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵とアメリカ兵はあわててタービン室から逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。操縦指導は20日間に渡って実施された。ビキニ環礁への移動に2名の日本兵の添乗が求められたが、日本兵が断ったためアメリカ海軍兵員によってのみ行われた。後にこの日本兵はビキニについていけばよかったと後悔している<ref>原爆実験のことは教えられていなかった</ref>。
 
1946年7月1日 [[ビキニ環礁]]で行われた[[クロスロード作戦]]にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、目標艦[[ネバダ (戦艦)|ネバダ]]の約500~600m地点に配置されていた<ref name="終戦帝国艦艇80">[[#終戦と帝国艦艇]]80頁</ref>。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で[[原子爆弾]]が爆発。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された<ref name="井川418">井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』418頁「屈辱の日」</ref><ref>[[#終戦と帝国艦艇]]84頁『(70)酒匂 原爆実験後の被害写真』</ref>。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった<ref name="終戦帝国艦艇80"/>。7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜、艦尾から沈没した<ref name="終戦帝国艦艇80"/>。