「陸軍機密費横領問題」の版間の差分

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[[陸軍大将]]であった田中が[[1925年]]に政界に転身し、立憲政友会入りをした際に、300万円の持参金を用意していた。出所について尋ねられた田中は、神戸の実業家・[[乾新兵衛]]から借りたと言っていたが、[[シベリア出兵]]の際の陸軍機密費を[[横領]]して乾に渡し、それを乾が[[公債]]に替えて田中に渡したものではないか、という疑惑が持上った。
 
[[1926年]](大正15年)[[3月4日]]に[[衆議院]]で[[憲政会]]の[[中野正剛]]代議士がこの問題を取り上げ、帝会でも審議されたが、この問題を追及していた[[検事]]の石田基が大森-蒲田間の鉄橋下で変死体となって発見され([[1926年]]10月)、疑惑はうやむやのうちに終わった。
 
他にも田中には同じ[[長州藩]]にルーツを持つ[[藤田組]]との関係が強く、その一族の[[久原房之助]]の政界入り及び初当選直後の閣僚抜擢についても何らかの金が動いたのではと言われた。