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1942年にカリフォルニア州イングルウッドに生まれ、2歳の時に[[ホーソーン (カリフォルニア州)|ホーソーン]]へと移住する。1961年にデニス、カールと知り合ったマイク、アルと共にビーチ・ボーイズを結成し、作曲の殆どを担当する。
 
ステージ活動と創作活動との両立のプレッシャーから、[[1964年]]末よりビーチ・ボーイズのライヴ活動から離脱し、多少のテレビ出演以外は作曲、レコーディング活動に専念するようになる。以後、それまでも起用していた[[スタジオ・ミュージシャン]]の比率をより高め、プロデューサー兼アレンジャーとして、ロックンロールの枠に囚われない音楽性を追求する。特に、それまで自分自身がレコーディングでも弾いていたベースにおいては、スタジオ・ミュージシャンを起用することで、自身のテクニック以上の演奏が可能になったため、ルート音(根音)をあえて意識的に外したメロディアスなベース・ラインなど、それまでの常識を打ち破る演奏を残し、[[ビートルズ]]の[[ポール・マッカートニー]]などにも影響を与えている。
 
[[1966年]]には、傑作『[[ペット・サウンズ]]』を制作し、同年シングル盤『[[グッド・ヴァイブレーション]]』の大ヒットで、その天才的な音楽的才能を世に知らしめた。同時に、ブライアンの[[LSD (薬物)|LSD]]などへの薬物依存が増しており、音楽性にも大きな変化をもたらした。しかし、渾身の作だった『ペット・サウンズ』がその難解さから当時のファンに歓迎されなかったことや、次作の『[[スマイル (ブライアン・ウィルソンのアルバム)|スマイル]]』の制作が頓挫したことなどをきっかけに次第に精神に異常を来たす。し、スタジオに火を放とうとしたり、スタジオを訪問した[[キャピトル・レコード]]の重役夫人を悪魔呼ばわりしたり、レコーディング中に[[消防士]]の格好をするなどの奇行に走るようになるり出す
 
その後はやがて、自宅に引き篭って酒や[[ドラッグ]]、過食におぼれ[[肥満]]化、自堕落な生活に浸り、バンドの活動にもあまり関わらなくなってしまうなど、彼の音楽キャリアは20年近く低迷の一途を辿る。『ペット・サウンズ』を絶賛していた[[ポール・マッカートニー]]が自宅を訪れた際、家のロッカーに隠れていたというのは、当時の有名なエピソードである。
 
しかし関係者の尽力が実り、[[1988年]]、初のソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』で完全復活を果たした。その後は、たまにビーチ・ボーイズに参加しつつソロ活動を続けるものの、弟カール死後の[[1999年]]以降、分裂状態のビーチ・ボーイズと袂を頒ち、彼自身の名を冠したバンドを率いて精力的にライヴを行うなど、過去を取り戻すかのように積極的な音楽活動を展開している。