「十市御縣坐神社」の版間の差分

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|所在地 = 奈良県橿原市十市町1番地
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|34|31|51.6|N|135|48|28.1|E|region:JP-29_type:landmark|display=inline,title|name=十市御縣坐神社}}
|祭神 = 豊受大神(伊弉諾尊、伊弉冊尊の御孫神)社伝では十市県主祖大目
|神体 =
|社格 = 式内大社
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*主祭神:[[豊受大神]]
*配祀:[[市杵島姫命]]
*社伝では[[孝霊天皇]]段の記に見える十市県主の祖の大目を祭神とする。十市県主五十坂彦の娘である五十坂媛は[[孝安天皇]][[皇后]]で、別名は[[押媛]]、忍坂媛である。また、大目の娘である[[細媛命]]は孝霊天皇皇后である。
==歴史==
この神社の創建年代等については不詳であるが、[[延喜式]]にも記載された古社である。古くから[[皇室]]の[[皇室財産|御料地]]であり、[[天皇]]に献上するための蔬菜を栽培する神聖な菜園の霊を祀り、高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布と共に「大和国六御県神社」の一座として朝廷からの尊厳が篤く、[[天安 (日本)|天安]]3(859)年1月27日、神階は従五位上に昇り、神封が充てられ、[[醍醐天皇]]の御代、[[延喜式神名帳|延喜の制]]には[[大社]]に列し、祈年、月次、新甞の案上、官幤に預かる。江戸時代には十三社(所)大明神とも称されたが、延喜式の「十市御県坐神社」に充てられた。
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*[http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/kindex2.php?J_ID=22808/ 神社資料データーベース]
 
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