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== 人物 ==
[[薩摩国]][[鹿児島城]]下[[大黒町 (鹿児島市)|大黒町]]([[鹿児島県]][[鹿児島市]]大黒町)生まれ。17歳の時長崎に出て貿易に従事、藩命によって金・米を扱った。鹿児島町吏、さらに大坂の蔵屋敷用達を命ぜられたが、貿易に着目して藩庁を説き、西洋型帆船数隻を購入して薩摩国産物を畿内に輸送、巨利を博した。明治4年([[1871年]])上京し、明治6年([[1873年]])帝国郵便汽船会社副社長となり、東京、琉球間の郵便航路開始に尽力した。同社は明治11年([[1878年]])に[[三菱汽船会社]]と合併する。明治10年([[1877年]])大阪に官糖取扱店を開き、また琉球反物の運送販売により巨利を得て、念願であった造船業を開始。明治11年(1878年)築地造船所、明治13年([[1880年]])兵庫川崎造船所を開業、明治19年([[1886年]])には官営兵庫造船所の払い下げを受けて、明治20年([[1887年]])[[川崎造船所]](現・[[川崎重工業]])を設立。明治29年([[1896年]])川崎造船所を株式に改組し、顧問に退いた。事実上、後継者がいなかった正蔵は、同郷の先輩であり自分の事業の恩人でもあった[[松方正義]]の三男・[[松方幸次郎]]を後継者に選ぶ。一方、明治23年([[1890年]]
== 長春閣・美術蒐集家としての正蔵 ==
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== 栄典 ==
* [[1888年]](明治21年)[[3月31日]] - [[従六位]]<ref>『官報』第1437号
* [[1902年]](明治35年)[[2月22日]] - [[瑞宝章|勲五等瑞宝章]]<ref>『官報』第5589号
* [[1912年]](大正元年)[[12月2日]] - [[従五位]]<ref>『官報』第104号
==脚注==
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== 関連項目 ==
*[[徳光院]] - 開基した自らの菩提寺
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