「セイの法則」の版間の差分

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'''セイの法則'''(セイ法則)は、「[[供給]]はそれ自身の[[需要]]を創造つくり出」と要約される[[古典派経済学]]の[[仮説]]。[[古典派経済学]]理論のフレームワークを形成していた。
 
== 概要 ==
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[[ジャン=バティスト・セイ]]が著書『経済学概論』第1巻第15章「販路」<ref>"Traité d’économie politique", 1841, 6e édition, Chapitre XV "Des débouchés"</ref>に叙述したことからセイの販路法則と呼ばれることもある。単に「セイ法則」とも呼ぶ。セイの法則が主張する重要な点は、経済の後退は財・サービスへの需要不足や通貨の不足によるものではないとする点にある。
 
{{Quotation|貨幣がこの二重交換において果たすの一時的な役割だけである:交換が終わってみると、ある生産物に別の生産物が支払われたのだ、ということが常に見出される(L’argent ne remplit qu’un office passager dans ce double échange ; et, les échanges terminés, il se trouve toujours qu’on a payé des produits avec des produits.)
</br>
 
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セイは、経済やビジネス景気の好転、あるいは購買力のさらなる増強は、ただ生産力の増強によってのみなされるのだとの社会的な洞察をもっていた。そこで不況の原因が行政府による消費支出の不足や、通貨としての金(金塊Bullion)の調達・供給不足にあるとする分析に対して、その批判の矛先を向けていた。
 
[[ジョン・スチュアート・ミル]]は、生産につながらない[[消費]](非生産型の消費)の増大による経済刺激策をセイの法則を引用することで批判した。
 
なおセイ本人は、後代にセイの法則に付け加えられたこまかな定義をつかうようなことはなく、セイの法則とは、実際には同時代人や後代の人たちによって成熟洗練せられたものである。その断定的で洞察に富んだ表現から、セイの法則は、[[ジョン・スチュアムズ・ミル]]や[[デヴィッド・リカード]]などによって再述され、発展して行き、1800年代中頃から1930年代まで経済学のフレームワークとなった。
 
セイの法則については、現代では好況等で十分に潜在需要がある場合や、戦争等で市場供給が過小な場合に成り立つ限定的なものと考えられており、また一般に多数の[[耐久財]]{{enlink|Durable good}}・[[資本財]]{{enlink|Capital good}}がある経済を想定していないことが指摘されている([[耐久財のディレンマ]])。またセイの法則そのものは後世の研究者により現代においても成熟されつづけている未完成のものであり、たとえば技術革新による供給能力の変化と生産調整による供給能力の変化の違いなどの現実のディテールなどは想定していない。また生産されたものがつねにあらゆる状況で商品(goods)であることが暗黙の前提となっており、生産され供給されつづけるgoods商品が累積的に人への効用を拡大させることを前提としている。この点がのちに[[オーストリア学派]]により批判された([[限界効用]]理論、[[限界効用逓減の法則]])。
 
== 「セイの法則」に対する議論 ==
セイの法則に相対する考え方として、同時代に発生した一般過剰供給論争における、[[トマス・ロバート・マルサス|マルサス]]や[[シスモンディ]]、および後代の[[ホブソン]]らのによる[[過少消費説]]がある。また彼らを先駆者とした<!--この考えを発掘することで継承した-->[[ジョン・メイナード・ケインズ]]による<!-- 短期では価格調整が行われない、ということに基づいた、:←これはケインズの考え方ではないと思うんですが -->[[有効需要の原理]]がある。ケインズは[[投資]]需要によって消費性向とあいまって経済全体の供給量がマクロ的に決定されると主張した。また[[貯蓄投資の所得決定理論]]において、セイの法則が貯蓄(供給)は常に投資(需要)されることで両者が一致すると説明した貯蓄投資の利子率決定理論を批判し、むしろ投資に見合うように貯蓄が決まることを主張した。
 
セイの法則として著名な「供給はそれ自らの需要を生み出す」という文言について、[[ポール・デヴィッドソン]]{{enlink|Paul Davidson (economist)|Paul Davidson}}によればセイのオリジナルではなく、[[1803年]]にイギリスの経済学者[[ジェームズ・ミル]]がセイの著作を翻訳するさいにそのような要約が登場したと指摘する。またセイら古典派の貨幣観を「ヴェール」と呼んだのはミルであるとする。
 
== 命題としての「セイの法則」 ==