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=== 明治時代以降 ===
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[[明治維新]]の西洋化思想は、海外の出版物の[[翻訳]]にも影響し、特に西洋の物語が持て囃された。[[貧乏神]]と[[疫病神]]と[[死神]]は並んで語られ、死神は[[古典落語]]でも描かれ、日本の妖怪や神と誤解されるが、[[三遊亭円朝]]が明治時代に[[グリム童話]]の『死神』か、[[イタリア]]の[[オペラ]](歌劇)の『[[靴直クリピスノ]]』の翻訳本を参考にした[[創作落語]]の『[[死神 (落語)|死神]]』で、[[]]に広まったことが知られている。このように西洋の物語に描かれる怪物も[[庶民]]に認知され、誤解からの日本の妖怪としてや、また近代史における「西洋の妖怪」として、日本でも相応の歴史がある。
 
その一方で日本の古典文化は排斥され、[[唄]]や[[踊り]]の伝承書が[[焚書]]された例もあり、そして科学的考察が至上とされ、妖怪もその他の迷信の類ともに、排斥される傾向にあったが、江戸末期から[[昭和]]や[[平成]]に至るまで、その時代時代の[[民俗学者]]の著書の発行と[[民俗学]]による権威付けが、妖怪という日本の民族文化の衰退の歯止めとして、一役買ったことは否めないであろう。