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彼はヨーロッパへの配属および陸軍戦争大学への入学で、[[朝鮮戦争]]には遅れて参加することとなった。彼は[[朝鮮半島]]に於いて第1、第10、第9軍団の参謀長を務めた(1953-54)。
 
朝鮮戦争後、彼はフォート・ノックスの兵器センター(1954-56)の参謀長を務めた。彼は[[准将]]に昇進し、[[ペンタゴン]]の予備役コンポーネント軍構成部隊参謀長(1956-59)であった。1959年から60年まで[[第3機甲師団 (アメリカ軍)|第3機甲師団]]の副師団長を務め、60年から62年まで師団長として同師団を指揮し、[[少将]]へ昇進した。
 
その後彼はペンタゴンの作戦担当陸軍参謀次長に転任し(1962-63)、続いて[[中将]]に昇進しヨーロッパで[[第5軍団 (アメリカ軍)|第5軍団]]を指揮した(1963-64)。
 
=== 最高指揮官として ===
彼は1964年に[[大将]]に昇進し、陸軍副参謀長に就任する(しかし、当初は参謀総長候補の1人として考慮されていた)。[[ベトナム戦争]]での戦況の変化から、彼は1967年5月に陸軍士官学校で同期であった[[ウィリアム・ウェストモーランド]]将軍の次席司令官に任命され、1968年6月には陸軍参謀総長となったウェストモーランドの後を継いでヴェトナム派遣米軍の最高司令官となった。彼のヴェトナムにおける指揮は、前任者ウェストモーランドによる楽観論から着目されなかった。
 
[[1968年アメリカ合衆国大統領選挙|1968年の大統領選]]後に就任した[[リチャード・ニクソン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[ニクソン・ドクトリン]]で表明した「ベトナム化」を推し進めた。「ベトナム化」とはベトナム戦争におけるアメリカ軍の関与を次第に縮小し、戦争を南ヴェトナム政府軍に任せることであった。