「榊原政房」の版間の差分

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[[榊原忠次]]の子として生まれる。[[寛文]]5年([[1665年]])[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]に父の死により家督を相続する。父忠次は叔父の[[榊原康勝|康勝]]の死によって榊原家を相続したが、実は康勝には庶子[[榊原勝政|勝政]]があった。勝政から榊原家当主の座を失わせた形になった政房は、義父の[[池田光政]]らと奔走し、勝政の子である[[榊原勝直|勝直]]、[[榊原政喬|政喬]]の兄弟を旗本に取り立てることに成功した。この分家成立は後に藩主の血筋を保つことになった。
 
寛文7年([[1667年]])死去、享年27。家督は嫡男の[[榊原政倫|熊之助(政倫)]]が継いだ。
 
[[ファイル:Grave of Sakakibara in Shosha 04.jpg|thumb|none|200px|榊原政房の墓]]