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バルティ社の名前のもとになったジェラルド・バルティは飛行機設計者で[[ダグラス]]で働いた後、[[ロッキード]]にうつり1928年にロッキードの主任設計者になった。ロッキードではシリウスなどを設計した。1929年ロッキードが破綻したので、1930年にロッキードを離れて、1931年スチンソンとライカミングなどの航空機メーカや自動車会社を所有する資本家エレット・コードの援助を受けて新しい会社Airplane Development Corporationの主任設計者になった。Airplane Development Corporationはその後、名前をかえるが1936年にVultee Aircraft Division of the Airplane Manufacturing Corp.となり、始めてバルティの名前になる。1938年1月バルティ夫妻は航空機事故で死亡するが、1940年スチンソン社と合併した会社はバルティ(Vultee Aircraft Inc)の名を残した。
 
1939年の練習機[[w:BT-13 Valiant|BT-13バリアント]]やバンガードなどの、急降下爆撃機が知られている。