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{{Otheruses}}
'''科学'''(かがく、英: ''science'' )という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
*(広義)体系化された[[知識]]や[[経験]]の総称であり、[[自然科学]]、[[人文科学]]、[[社会科学]]の総称。
*(狭義)[[科学的方法]]に基づく学術的な[[知識]]、[[学問]]。
*(最狭義)[[自然科学]]。
== 知識や経験の総称としての科学 ==
「科学」という語は[[ラテン語]]の ''scientia'' (知識)に由来する。''science'' という語は、17世紀の[[科学革命]]のころまでは、体系化された[[知識]]や[[経験]]の総称という意味で用いられてきた。なかでも、観察や[[実験]]に基づく体系的な[[学問]]という意味では、''natural philosophy'' ([[自然哲学]])や''experimental philosophy'' (実験哲学)の語が用いられていた。<!--体系的でない「知」をscientiaと呼び、体系的な「知」を''natural philosophy'' や''experimental philosophy''と呼んでいたわけではない。そもそも「知」は本来的に体系的である。たとえば[[神秘主義]]は体系を持つ。-->今日でも「科学」の語は、[[自然科学]]、[[人文科学]]、[[社会科学]]の総称としてしばしば用いられる。
人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身の人体の構造について関心を抱き続けてきた。歴史上、[[古代オリエント]]、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな[[文明]]圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった<ref>アンドレ・ピショ『科学の誕生〈上〉古代オリエント 』、せりか書房、1995年、ISBN 4796701923 </ref><ref>アンドレ・ピショ『科学の誕生〈下〉ソクラテス以前のギリシア 』、せりか書房、1995年、ISBN 479670194X </ref><ref>平田寛『図説 科学・技術の歴史―ピラミッドから進化論まで 前約3400年‐1900年頃』、朝倉書店、ISBN 4254102038</ref>。[[古代]]に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが[[古代ギリシア]]・[[古代ローマ]]の自然哲学である。[[中世]]においては[[イスラム科学]]が最も先進的な地位を占めていた。後進ぎみだったヨーロッパは、イスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある<ref>都築洋次郎『世界科学・技術史年表』、原書房、ISBN 4562021918</ref>。
しかしこれら古代から中世にかけての諸学問は、[[客観]]性や論理的な[[推論]]の過程を重視する学問的態度を伴ったものではなかった。すなわち、今日の[[自然科学]]が不可欠の要件としている態度である[[論理実証主義]]を欠いていたのである。例えば中世の大学での講義では、現実の観察結果が古典に書かれた内容と異なるものであれば、古典の[[テクスト]]が正しいとされていた。
20世紀の[[歴史学者]][[ハーバート・バターフィールド]]は、[[17世紀]]の[[ヨーロッパ]]において、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち[[実験]]([[冒険]])という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとする。バターフィールドはこれを「[[科学革命]]」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた<ref>[[ハーバート・バターフィールド]]著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年</ref>。
== 科学的方法に基づく学問としての科学 ==
{{see also|科学的方法}}
よく、「科学は物事の起こる理由を説明するもの」と説明されるが、これは間違いではないものの、科学の実態を正確に説明しているとは言い難い。世の中に見られる現象は、一見不思議なことは数多い。これがなぜかを知りたくなるのであるが、直接にそれを誰かに尋ねることで答えを得るのは難しい。聞かれた方がわからないから、適当に答えたのが[[神話]]の発祥かもしれない。
それに対して、こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である。言いかえれば、究極的な目的である'''なぜ (Why) '''を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、'''どのような (How) '''現象が起きているのかを記述するとこと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である。そのような[[情報]]をかき集めて、一定な条件を集めれば特定の結果が得られることを示せるならば、重要な結果を得たと言えようし、その間の[[科学的説明]]ができるならば、科学の発展にそれなりの貢献ができたと言えよう。
その意味で、[[帰納法]]こそが科学の原点である。
科学革命の時代以降、[[科学的方法]]が次第に形成され、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについて、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。ただしどのような方法なら科学的と見なせるのかという境界線は必ずしも明らかなわけではなく、科学者らは議論を重ねてきた歴史があり、現在でも議論は続けられている。現代における一つの指針としては、[[全米科学振興協会]]による[[すべてのアメリカ人の科学]](詳細は[[科学的方法]]を参照)がある。
数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、[[20世紀]]前半の[[科学哲学]]者[[カール・ポパー]]が[[反証可能性]]の概念を提示し、それを条件とすることで[[理論]]が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には[[反証可能性]]の概念や[[反証主義]]をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。現在でも、これを科学と[[擬似科学]]とを区分する基準として採用する人は多い<ref>[[伊勢田哲治]]『疑似科学と科学の哲学』、名古屋大学出版会、ISBN 4815804532 など</ref><ref>ポパー流の視点に基づけば、「光の速度は不変である」という仮説をおくことは、観察によって反証することが可能なので、科学たりうる。一方、[[ジークムント・フロイト]]の[[精神分析学]]や[[カール・マルクス]]の[[マルクス経済学]]は、観察によって反証するすべを持たないので、科学とは呼べないことになる。</ref>。
ただしこうしたポパーの科学観に対しては1960年代から批判が加えられるようになった。その代表は科学史家[[トーマス・クーン]]の[[パラダイム]]論である。パラダイム論によれば、観察は、データを受動的に知覚するだけの行為ではなく、パラダイムすなわち特定の見方・考え方に基づいて事象を能動的に意味付ける行為である。従って、パラダイムそのものは個別の観察によって反証されるのではなく、別のパラダイムの登場によって「[[パラダイムシフト]]」の形で覆される。
また、科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。分類可能性と予測可能性は厳格な[[カオス]]を除いては一体不可分であり、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ([[自然の斉一性]])。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。<!--知の体系が真理に到達していない状況、例えばあるA症患者にX薬が有効とされているところに、A症が新種で未知のB症を併発しX薬が無効(有害)にとなった場合、B症の科学的な知見が得られていなければ(不知)X薬の効能は立証できない。無論個別の「確信」に於いては科学者(医師)の個人的な無知も深刻で重大な課題である。-->
=== 科学の方法論 ===
{{see also|科学的方法}}
科学の根本的な原理については一部の著名な科学者や科学哲学者らによって活発な議論が行なわれたわけだが、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについては、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。
例えば[[物理学]]や[[無機化学]]は、対象のもっぱら無機的・機械的なレベルでの振る舞いに限定して着目し、実験で同一の現象が再現されることを重視しており、その記述は、一般法則や全称命題が中心である。[[天文学]]や[[考古学]]など、実験や冒険による実証が極めて困難な領域においては、十分な観察と分類にもとづき学問を成立させており、これらの学問も科学的な知見として尊重されている。
生体によって引き起こされる現象を扱う[[医学]]、[[薬学]]、[[心理学]]や、人々の巨大な[[社会]]集団を扱う[[経済学]]、[[社会学]]は、考察対象とする生体や社会そのものが根本的に複雑性や複合性を内包している。これらにおいては個体差が重要な要素となったり、対象が情報を記憶することで内部状態を変化させてゆくものであり、現象の再現性を問うこと自体が困難である場合が多い。そのため、物理学や無機化学におけるような決定論的な手法のみならず、統計論的な手法やその他の手法も適用されている。
詳細は[[科学的方法]]で述べる。
==自然科学と科学技術==
{{see also|自然科学}}
[[19世紀]]後半以降、''science'' という語は狭義において「自然科学」の意味で用いられるようになった。今日では、多くの局面において「科学」と言えば暗黙裡に「[[自然科学]]」を指していることも多い。自然科学は、[[自然]]の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称である。[[物理学]]、[[化学]]、[[生物学]]などの[[理学]]と呼ばれる分野と、[[医学]]、[[農学]]、[[工学]]などの[[応用科学]]と呼ばれる分野とを含んでいる。なお、今日では便宜上、19世紀以前の自然哲学の諸研究も、自然科学の一部として分類し扱っている。
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[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]では、科学者は国家によって動員され、[[化学兵器]]や[[核兵器]]の開発によって戦争の帰趨に影響を与えた。戦後、[[科学技術政策]]は国家政策においても重要な要素として取り込まれている。また科学技術の一層の進歩により、科学は社会から遊離した純粋な知的営為として位置づけることは困難となっている。
==
「科学」という語は、[[中国]]では、[[科挙]]で試される学問「科挙之学」の略語として[[10世紀]]頃から使われていた。日本では、「科学」は様々な学問(分科の学)という意味で用いられていたが、[[明治時代]]に ''science'' という語が入ってきた際、啓蒙思想家の[[西周 (啓蒙家)|西周]]がこれを様々な学問の集まりであると解釈し、その訳語として「科学」を当てた<ref>[[佐々木力]] 『科学論入門』、岩波新書、1996年、ISBN 4004304571</ref>。当初は「科學」と旧字で表記されていたが、[[国語国字問題|新字体の採用]]により「科学」と書くことになり、現在に至っている。
中国においても、用語に若干の違いはあるものの、''science'' の訳語として「科学」が使われている。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
*[[トーマス・サミュエル・クーン]]著、常石敬一訳 『コペルニクス革命―科学思想史序説』、講談社学術文庫、1989年
*[[アラン・チャルマーズ]]著、高田紀代志・佐野正博訳 『科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか?』、恒星社厚生閣、1985年(新版)
*[[ジョン・デスモンド・バナール]]著、鎮目恭夫訳 『歴史における科学』全4巻、みすず書房、1966年
*[[ハーバート・バターフィールド]]著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年
*[[村上陽一郎]]編 『現代科学論の名著』、中公新書、1989年
*
== 関連項目 ==
{{Sisterlinks|科学
|wiktionary = 科学
|wikiquote = 科学
|commons= Category:Science
|wikinews = Category:学術
}}
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* [[科学哲学]]
* [[科学革命]]
*
* [[科学における不正行為]]
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[[Category:科学|*]]
[[Category:和製漢語]]
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