「国際寝台車会社」の版間の差分

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ナゲルマケールスは[[1867年]]から[[1869年]]にかけてアメリカを旅行した経験から、すべて寝台車からなる長距離列車の着想を得た。ただし、彼はアメリカで一般的な[[寝台車 (鉄道)#開放式寝台|開放式寝台]]ではなく、ヨーロッパ人の好みに合う[[寝台車 (鉄道)#個室寝台|コンパートメント式の寝台車]]を採用した。また独自の路線を持たず、他の鉄道会社の線路・機関車を使用し寝台車の運行のみを行なうという事業方式も考案した。
 
ヨーロッパへ帰った後、ナゲルマケールスは[[1870年]]に『大陸の鉄道への寝台車の導入計画』(''Projet d'installation de wagons-lits sur les CheminChemins de Fer du continent'') と題した小冊子を刊行し、ヨーロッパ各地の鉄道事業者との交渉に入った。[[普仏戦争]]の勃発による遅れはあったものの、[[ロンドン]]在住のアメリカ人富豪[[ウィリアム・ダルトン・マン]]の出資を得て、1872年10月1日、ワゴン・リ社は[[リエージュ]]で設立された。最初の列車は1872年10月22日に[[オーステンデ]]-[[ベルリン]]間で運行を開始した。
 
[[1873年]]1月4日にはワゴン・リ社はマンのマン・ブドワール寝台車会社 (Mann Bourdoir Sleeping Car Company) に買収され、ナゲルマケールスの準備していた列車の多くはマン社の元で運行されることとなった。しかし[[1875年]]ごろになるとプルマン社がヨーロッパの寝台列車事業へ本格的に参入しはじめ、マンはヨーロッパからの撤退を決意した。ナゲルマケールスは[[1876年]]12月4日に[[ブリュッセル]]でワゴン・リ社を再建し、マン社の車両を買い取り、その運行していた列車も引き継いだ。新会社にはベルギー国王[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]も出資しており、この信用がその後の各国政府や鉄道会社との交渉に役立った。