「モンブラン (ケーキ)」の版間の差分

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このケーキには、長時間[[シロップ]]に漬けられて形の崩れた[[マロングラッセ]]をつぶし、ペースト状にしたものがかけられる。その形はモンブラン山を真似たものであり、フランスでは山の丸みを帯びたドーム状の曲線が、イタリアでは氷河に削り取られた峻厳な岩肌がケーキに投影されることとなった<ref>[http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file257.html NHK鑑賞マニュアル・美の壷]「モンブラン」</ref>。
 
[[日本]]では[[東京]]・[[自由が丘]]の「[[モンブラン (洋菓子店)|モンブラン]]」初代店主・[[迫田千万億]]が[[1933年]]にフランス・[[シャモニー]]を旅した際にこれを知り、つくる許可を取った。土台をメレンゲから[[カステラ]]にし<ref>{{Cite book|和書|author=猫井登|title=お菓子の由来物語|date=2008-09|publisher=[[幻冬舎ルネッサンス]]|isbn=9784779003165|page=|pages=}}</ref>、クリのクリームもヨーロッパの茶色のものではなく、日本人になじみ深い黄色の[[甘露煮]]を用いるアレンジを加え、持ち帰りのできる[[ガトー]](焼き菓子)として完成させた<ref>{{Cite web|url=http://www.mont-blanc.jp/rekisi.htm|title=モンブランの歴史!?|accessdate=2013-11-27|date=2011-11-14|publisher=[[モンブラン (洋菓子店)|自由が丘モンブラン]]|deadlinkdate=}}</ref>。これは日本で初めてのことであったが、迫田が「モンブラン」を商標登録しなかったため、黄色いモンブランは全日本に普及する。そして[[1984年]]のアンジェリーナ日本進出を契機に、わが国にも茶色いモンブランは進出、同様に支持されるに至っている<ref>{{Cite book|和書|author=渋川祐子|title=ニッポン定番メニュー事始め|date=2013-09|publisher=[[彩流社]]|isbn=9784779119347|page=74}}</ref>。
 
== バリエーション ==