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冷凍・冷蔵技術や輸送の発達していなかった時代、[[身欠きニシン]]は山間地では重要な食材であった。[[京都]]名物に、にしん料理があるのもこのような理由による。[[北海道]]から取り寄せたニシンを使い、[[南座]]横の名物として知られるようになった[[にしんそば]]は明治時代に誕生したものである。
 
[[言海]]はニシンの干物を「貧人の食とす」と記し、下魚であった。『[[守貞漫稿]]』には、「鯡を江戸で食する者は稀で、もっぱら猫の餌である。京阪では煮たり昆布巻にする。かつぎ売りの品は昆布まきにする」とあり、『年中番菜録』には、「鯡こんぶ巻、また平こんぶに取り合せて炊き、向付けにしてよし。下品なれども酒の肴には、時によりおかし。水に漬けおいて砂糖あめ等入れれば渋みなし」という。食通で知られる[[北大路魯山人]]は著書「魯山人味道」(平野雅章 編)で、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを上手く料理すると美味しくなる」という。
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