「小島信夫」の版間の差分

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== 作風 ==
初期には、実存主義的な不安やブラックユモアあふれる小説を書いて、[[吉行淳之介]]、[[遠藤周作]]、[[安岡章太郎]]らと共に[[第三の新人]]と呼ばれた。[[第一次戦後派作家]]の年少組と同世代ながら、30代半ばと文壇デビューが遅かった(『[[アメリカン・スクール (小説)|アメリカン・スクール]]』での芥川賞受賞1954年下半期、小島39歳の時である文壇デビューが遅かったためである。1970年代をある種の境として、岐阜を故郷に持つ作家を巡って[[メタ]]的な描写の横溢する『美濃』や、破綻をかろうじて耐えつつ虚実の入り乱れる『[[別れる理由]]』以降、作者自身やその友人と同名の人物、あるいはあからさまにモデルとなった人物、もしくは同一人物そのものを登場させる手法を確立する。先行する文学作品・芸術作品過去の自作の引用(しばしば不正確あるいは恣意的に変形されている)や作者自身の身辺や時事の記憶等に幅広く材を採りつつ、いわゆる文語ではなくやわらかな質感を持ちながら省略や倒置が多く、時制・主体などが入り組んだセンテンスや独特の違和感や齟齬を喚起する会話文といった特徴を持つ難解な文体を用いて、[[メタフィクション]]、ひいては小説全体に対する批評的な距離を測るように旺盛な創作活動を続けていた。
 
== 受賞等歴 ==