「真田丸の戦い」の版間の差分

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[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]、前田勢は、篠山からの妨害に悩まされていたため篠山の奪取をもくろんだ。前田勢の先鋒[[本多政重]]、[[山崎長徳]]らが夜陰に乗じて篠山に攻め上がったが、真田勢は城内に撤収しておりもぬけの殻だった。夜が明けると、肩すかしを食った前田勢を真田勢がさんざんに愚弄した。前田勢はその挑発に乗ってしまい、真田丸に攻めかけた。真田勢は、前田勢が充分城壁にとりついたところに銃撃を浴びせ、前田勢に大損害を与えた。前田利常は、将達が命令なく攻撃したことに怒り、兵を撤収させようとした。
 
前田勢の攻撃を知った井伊、松平勢もそれにつられる形で八丁目口・谷町口に攻撃を仕掛けた。この時、城内で火薬庫が誤って[[爆発]]する事故がおこったが、その音を聞いた幕府軍は南条の内応によるものと勘違いし、さらに激しく攻めかける結果になった。豊臣軍は城壁に殺到する幕府軍に対しここでも損害を与えた。
 
これらの惨状を知った家康は退却を命じた。しかし、[[竹束]]や鉄楯を持たずに攻めてしまっていたため<ref>このことから、もともと幕府軍に本格的な攻撃予定はなかったと言われる。</ref>、敵の攻撃に身動きがとれず退却は難航、午後三時をすぎようやく完了した。