「吉良長氏」の版間の差分

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[[建長]]3年([[1251年]])に鶴ヶ崎天満宮([[西尾市]])を造営。[[弘安]]8年([[1285年]])、[[霜月騒動]]で息子満氏を失ったため、嫡孫[[吉良貞義]]を養子とする。晩年は吉良荘内の今川(西尾市今川町)または竹崎(西尾市上町)の地に隠居したと言われる。
 
正応3年([[1290年]])6月18日没。享年80。法名は新御堂殿長氏公大禅門。
 
== 関連項目 ==