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超プロ住民 (会話 | 投稿記録)
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日本では江戸時代に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した<ref>清水、2009年、pp.2 - 6</ref>。江戸後期に出された『[[北斎漫画]]』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、[[清水勲]]は「4コマ漫画の源流」と記している<ref>清水、2009年、pp.8 - 10</ref>。
 
江戸末期から西欧のコマ漫画のスタイルが[[チャールズ・ワーグマン]]らによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『[[ジャパン・パンチ]]』に[[1876年]]に掲載された作品とみられている<ref>清水、2009年、p20。ただし、『ジャパン・パンチ』自体には4コマ漫画の掲載は少なく、全体としては1枚絵の漫画が主流でコマ漫画も2コマや3コマが大半だった。</ref>。やがて、日本人の発行する新聞([[時事新報]]など)や雑誌(『[[団団珍聞]]』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。一説には、[[岡本一平]]が映画のフィルムに触発されて描いた作品が起源とも言われる<ref>NIPPONの巨人「岡本太郎 全身で過去と未来を表現した男」(NHK、2006年)</ref>。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなどさまざまなスタイルのものが描かれていた。明治後期を代表する漫画家である[[北沢楽天]]が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた<ref>清水、2009年、pp.34-35</ref>。</br>また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。
 
大正時代にはアメリカやイギリスのコマ漫画が日本の新聞・雑誌に掲載され、それらに影響を受ける形で日本人漫画家の手になるコマ漫画が連載された。それらの中で、[[1923年]]にスタートした「[[正チャンの冒険]]」(文・[[織田小星]]、絵・[[椛島勝一]])と「[[ノンキナトウサン|のんきな父さん]]」([[麻生豊]])は4コマ漫画のヒット作となった<ref name="shimizu2">清水、2009年、pp.51 - 53,58 - 64</ref>。「正チャンの冒険」は当時2列配置の「田の字」でスタートしたが、掲載先が『[[アサヒグラフ]]』から[[東京朝日新聞]]に移った1923年10月20日の回で縦4コマの配置を採用した<ref name="shimizu2"/>。またこの『東京朝日新聞』での連載が、毎日連載する新聞4コマ漫画の最初とされている<ref name="shimizu2"/>。一方、[[報知新聞]]に掲載された「のんきな父さん」は8コマでスタートし、6コマになったのち、1923年11月26日から4コマとなり、紙面の左上に掲載されるようになった(コマ配置は「田の字」形)<ref name="shimizu2"/>。また、「正チャンの冒険」が吹き出しのセリフと欄外の説明文を併用していたのに対し、「のんきな父さん」は吹き出しのセリフだけでストーリーを展開した最初の4コマ漫画でもあった<ref name="shimizu2"/>。