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{{Otheruses|ヘッセン=カッセル方伯フィリップの妻|ポルトガル王[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]の妃|マファルダ・デ・サボイア (ポルトガル王妃)}}
[[File:Princess Mafalda and Philipp of Hesse 1925cr.jpg|right|thumb|200px|1925年9月成婚時のマファルダとフィリップ]]
'''マファルダ・マリーア・エリザベッタ・アンナ・ロマーナ・ディ・サヴォイア'''(
== 生涯 ==
マファルダは、[[イタリア王国|イタリア王]][[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]とその王妃[[エレナ・デル・モンテネグロ|エレナ]]の次女(第2子)として[[ローマ]]で誕生。弟は[[ウンベルト2世]]、妹は[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア]]王妃となった[[ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア|ジョヴァンナ]]である。幼少時から母エレナの手元で育ち、音楽と芸術の嗜好を受け継いだ。[[第一次世界大戦]]中には、母に同行してイタリアの軍事病院を慰問している。
[[1925年]][[9月23日]]、ラッコニージ城でフィリップと結婚。夫は[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]信望者で、彼の弟[[クリストフ・フォン・ヘッセン|クリストフ]]はナチス幹部であった。[[ファシスト]]支配下のイタリアから来た王女と、ナチス支持者の結婚により、フィリップの地位は内部で中間まで上がった。しかし、[[第二次世界大戦]]中、[[アドルフ・ヒトラー]]はマファルダを反ナチスだと信じていた。一家はローマ郊外の館に居をかまえ、ドイツと行き来していた。フィリップは[[ヘッセン=ナッサウ州]]知事を務めた。
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== 子女 ==
* [[モーリッツ・フォン・ヘッセン|モーリッツ]]([[1926年]] - [[2013年]]) - ヘッセン大公家・ヘッセン=カッセル家家長。
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* [[エリーザベト・フォン・ヘッセン|エリーザベト]]([[1940年]] - )
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