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'''蔡氏 具志頭殿内'''(さいうじ ぐしちゃんどぅんち)は、[[蔡温]]・具志頭親方文若(蔡氏志多伯家11十一世)を小祖とする[[琉球王国]]の[[士族]](久米士族)。代々具志頭[[間切]](現:[[八重瀬町]](具志頭地区))の[[総地頭]]を務めた琉球王国の[[大名]]。
{{参照方法|date=2014年11月}}
'''蔡氏 具志頭殿内'''(さいうじ ぐしちゃんどぅんち)は、[[蔡温]]・具志頭親方文若(蔡氏志多伯家11世)を小祖とする[[琉球王国]]の[[士族]](久米士族)。代々具志頭[[間切]](現:[[八重瀬町]](具志頭地区))の[[総地頭]]を務めた琉球王国の[[大名]]。
 
== 概要 ==
蔡温の父・[[蔡鐸]]は[[蔡氏儀間殿内]]の分家・蔡氏志多伯家10世。蔡温は[[蔡鐸]]、正室・真呉瑞との間に生まれた初めての子であったが、母・真呉瑞が側室の子、長男・蔡淵を嗣子とするよう蔡鐸を説得したため、蔡氏志多伯家は兄・淵が継承した。
 
蔡温は、蔡氏具志頭殿内の小祖(分家元祖)となった。具志頭殿内は久米士族であるが、蔡温の時に[[尚敬王]]より首里赤平村(現・首里赤平町)に邸宅を賜ったので、その後歴代当主は首里に居住した。また、歴代当主は、代々具志頭間切の総地頭職を務め、琉球王国の大名として、本家筋である儀間殿内や志多伯家より栄えた感がある。
 
== 系譜 ==
* 11十一世・蔡温、具志頭親方文若
* 12十二世・蔡翼、具志頭親方廷儀(蔡温長男。正室は[[尚敬王]]長女・津嘉山翁主)
* 13十三世・蔡寅、具志頭親方得興(正室は、今帰仁王子朝義([[具志川御殿]]10世)三女・武樽金)
* 14十四世・蔡懿、義元親雲上得察
* 15十五世・蔡増
* 16十六世・蔡興
* 16十六世・蔡光(実父・蔡新(15(十五世)は、蔡懿の弟・蔡保(14(十四世)の子。蔡興の養子となる)
* 17十七世・蔡霖
 
※系譜は「蔡姓世系図」『蔡氏家譜抄(具志頭家)』、『氏集』を参照。
 
== 参考文献外部リンク ==
*[http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B1241188/1/vol05/htm/kafu-k19.htm 『蔡氏家譜抄(具志頭家)』]
* {{Cite book|和書|author=沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会|date=1992年(平成4年)|title=沖縄県氏姓家系大辞典|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4040024707|ref=沖縄県氏姓(1992)}}
* {{Cite book|和書|author=宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)|date=1998年(平成10年)|title=沖縄門中大事典|publisher=那覇出版社|isbn=978-4890951017|ref=宮里(1998)}}
* {{Cite book|和書|author=比嘉朝進|date=2005年(平成17年)|title=士族門中家譜|publisher=球陽出版|isbn=978-4990245702|ref=比嘉(2005)}}
 
== 関連項目 ==
* [[殿内]]
* [[蔡氏儀間殿内]]
 
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[[Category:琉球王国の殿内]]
[[Category:琉球王国の士族]]