「ザ コカ・コーラ カンパニー」の版間の差分

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=== 資本主義の象徴 ===
[[第二次世界大戦]]、[[アメリカ合衆国]]の軍需品として[[世界]]に広まったコカ・コーラは、[[冷戦]]の最中には'''[[資本主義]]の象徴'''として扱われることになった。特に海外進出の際に現地でパートナーとした企業の多くが、有力者や大地主・財閥、時にはアメリカ資本の[[多国籍企業]]だったりしたことがそのイメージに拍車をかけることになった。
 
そのため資本主義陣営=[[西側諸国|西側]]への反対が、しばしばコカ・コーラへの攻撃と結びつくことも多かった。特に[[ヨーロッパ]]では、[[マーシャル・プラン]]に反対する[[左翼]]がコカ・コーラ排斥の先頭に立ち、時として民族資本の飲料メーカーや酒造メーカーがこれを後押しするという現象が目立った。
 
[[東側諸国|東側]]への進出でもペプシに後れを取った。[[ソビエト社会主義共和国連邦]]への進出は[[1978年]]まで待たねばならず、輸出も困難であった。前述のジューコフはコカ・コーラを密かに飲みたいと思っており、[[マーク・W・クラーク]]将軍を介して無色透明のコカ・コーラ({{仮リンク|ホワイト・コーク|en|White Coke}})を特別注文して送らせている。[[アラブ・ボイコット]]の影響([[イスラエル]]に真っ先に工場を建設したことがアラブ諸国の怒りを買ったことによる)で、[[中東]]でも進出が進まなかった。逆に[[中華人民共和国]]へは、1978年にアメリカ企業として初めて進出を果たし、3年間市場を独占した。
 
=== カンザス計画と「ニュー・コーク」の失敗 ===