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沖縄の古謡集『[[おもろさうし]]』のうち、[[1609年]]の[[島津氏]]による[[琉球征伐|琉球出兵]]を歌ったものでは、薩摩兵を「まへぼじ(前坊主)」と揶揄しており、さかやきを作っていた事がわかる。
 
[[江戸時代]]になると、一定の風俗となった。[[公卿]]を除く、一般すなわち[[武家]]、[[平民]]の間で行われ、[[元服]]の時はさかやきを剃ることが慣例となった。[[蟄居]]や[[閉門]]の処分期間中や病気で床についている間はさかやきを剃らないものとされた。外出時もさかやきでない者は、[[公卿]]、[[浪人]]、[[山伏]]、[[学者]]、[[医師]]、[[易者|人相見]]、[[物乞い]]などであった。[[蟄居]]や[[閉門]]の処分期間中や病気で床についている間はさかやきを剃らないものとされた。さかやきの形は侠客、中間、小者はぼんのくぼまであり、四角のさかやきは[[相撲]]から起こり、その広いのを唐犬額といった。江戸時代末期にはさかやきは狭小になり、これを講武所風といった。また若さをアピールする一種のファッションとして、さかやきやもみあげを[[藍玉 (染料)|藍]]で蒼く見せるという風習も流行した。
 
[[明治時代|明治]]の[[断髪令]]まで行われた。