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* 正応3年([[1290年]])10月12日、[[南条時光]]の寄進により[[大石寺]]が建立し、翌日の10月13日、日興は日目に内々に法を付し{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 183b }}、大石寺学頭として、第三祖[[日目]]が一門の統率をした。同年、弟子らにより宿坊が建立された。
* 永仁6年([[1298年]])2月、足かけ10年過ごした大石寺を離れ、日興は重須談所(大石寺近郊、現在の[[北山本門寺]])に移った{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 185a }}。
* [[延慶]]2年([[1309年]])『富士一跡門徒存知事』を記す。その中で、日昭・日朗・日向・日頂・日持の神社参詣・釈迦仏造立等の行為は、宗祖の本意ではないと強く主張。さらに、宗祖の法門が天台宗ではないことも主張。
* [[嘉暦]]2年([[1328年]])『五人所破抄』を記す。再度、日昭・日朗・日向・日頂・日持の行為が宗祖の本意ではないと主張。
* [[正慶]]2年([[1333年]])1月13日、二十六箇条の『遺戒置文』をもって将来の指針を示し、2月7日、88歳をもって、35年に渡って住んだ重須にて死去した{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 187 }}{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 185b | ps = -但し、重須に35年に渡って住んだことのみ。}}{{Sfn | 日蓮宗事典刊行委員会 | 1981 | p = 651a | ps = -但し、没年月日と享年ならびに重須にて死去したことのみ。}}。