削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
13行目:
'''伯耆一条氏'''(ほうきいちじょうし)は[[伯耆国]]の[[国人]]領主。
 
== 経歴 ==
詳しい出自は不明。一条姓を名乗ることから[[一条家]]との関連も考えられるが定かではない。本貫地についても不明だが、[[永禄]]年間に一族の[[一条清綱]]が[[久米郡]][[北条町 (鳥取県)|北条]]上之郷200石地などを所領としていたことが分っている。
 
古くは[[山名氏]]に仕えていた。[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])9月には一条出雲守が[[尼子清定]]と[[出雲国]][[井尻雛波城]]で合戦を行い、討死している。その後、山名氏の勢力が衰退すると[[毛利氏]]に従い、[[永禄]]5年([[1562年]])頃に伯耆国へ復帰、復帰後は地元の有力国人である[[南条氏]]の家臣となった。[[天正]]3年([[1575年]])10月14日付けの「南条信正ほか連署状」(『吉川家文書』)には一条清綱の名が確認される。清綱は毛利氏との合戦中に[[由良要害]]の城番を任されるなど、南条氏の重臣として仕えていたが、[[慶長]]5年([[1600年]])の南条氏改易後の動向は不明である。現在では一条姓を名乗る者はあまり見られず、他国に逃れたか姓を変えた可能性があるが、関係史料も残っていないため詳細は不明である。
 
==関連項目 参考文献 ==
* 高橋正弘著『因伯の戦国城郭 通史編』[[自費出版]]、[[1986年]]
*[[由良要害]]
* 米子市史編さん委員会編『新修米子市史 第1巻 通史編 原始・古代・中世』[[米子市]]、[[2003年]]
*[[一条清綱]]
 
==参考文献 関連項目 ==
* [[由良要害]]
*高橋正弘著『因伯の戦国城郭 通史編』[[自費出版]]、[[1986年]]
* [[一条清綱]]
*米子市史編さん委員会編『新修米子市史 第1巻 通史編 原始・古代・中世』[[米子市]]、[[2003年]]
 
[[Category{{デフォルトソート:日本の氏族|ほうきいちしようし]]}}
[[Category:鳥取県日本歴史|ほうきいちしようし氏族]]
[[Category:鳥取県の歴史]]