「シクストゥス2世 (ローマ教皇)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ローマのラウレンティウスへのリンク。(カテゴリ追加)カトリック教会の聖人
m The Lives of the Saints より St. Xystus の 表記など。
28行目:
}}
 
'''シクストゥス2世'''('''{{lang-en-short|Sixtus II'''}}、? - [[258年]][[8月6日]])は、[[教皇|ローマ教皇]](在位:[[257年]][[8月31日]] - 258年8月6日)。カトリック教会の[[聖人]]であり、聖シクストゥス({{lang-en-short|St. Xystus}})とも表記される<ref>[[#ougon3|黄金伝説3]], p. 144</ref><ref>[[#but|St. Xystus, or Sixtus II., Pope and Martyr]], [[アルバン・バトラー|バトラー]]によるLives of the Saints.より、シクストゥス2世の頁。</ref>。[[ローマ皇帝]][[ウァレリアヌス]]の迫害のため[[殉教]]した。[[カタコンベ]]での儀式中に4人の助祭と共に捕らえられ、その場で斬首されたと伝えられる<ref>[[#ougon3|黄金伝説3]], p. 146</ref>。
 
== 生涯 ==
34行目:
『[[教皇の書]]』によればギリシャの生まれだとされるが、おそらく誤っている<ref name="cath">[http://www.newadvent.org/cathen/14031c.htm Pope St. Sixtus II,Catholic Encyclopedia]</ref>。彼は異端派の洗礼の問題で途絶えていたアフリカや[[東方正教会]]との関係を修復した<ref>[[#ougon3|黄金伝説3]], p. 146</ref>。
 
258年、ウァレリアヌスによる迫害{{Refnest| group="注"|司教、長老、助祭は処刑。元老院議員、有力者、ローマの騎士は地位はく奪と財産没収。なおキリスト者をやめなければ斬首の勅令が公布された<ref>[[#持田|持田]], p. 17</ref>}}のために、多くの聖職者が殺された。シクストゥス2世はこの迫害による最初の犠牲者の一人であり、8月6日に斬首された。彼は6人の助祭、ヤヌアリウス、ウィンケンティウス、マグヌス、ステファヌス、フェリキシムス、アガピトゥス<ref group="注">フェリキシムス、アガピトゥスの2人の助祭については同日に殉教した。</ref>とともに殉教した<ref name="cath"/>。
 
通常、司教祭服で[[教皇冠]]をかぶり、十字杖・本を持った姿で描かれる。また、聖人伝<ref>[[#ougon3|黄金伝説3]], 「一〇八 聖シクストゥス」の章, p. 144-146 など。</ref>において、殉教に際し[[ローマのラウレンティウス|ラウレンティウス]]に教会の財産を貧しい人々に施すことを命じたことから、金入れ・金貨を持っている姿で描かれることもある<ref>[[#ougon3|黄金伝説3]], p. 147</ref>。
 
彼は[[キュプリアヌス]]に擬せられる『Ad Novatianum』の著者と見なされるが、一般的に認められていない。253年から258年にローマで書かれた別の著作物は、一般的に彼のものとされている。
64行目:
|issn = 03870103
|ref = 持田}}{{hdl|10295/1134}}
 
* {{Cite web |author=Rev. Alban Butler |date=1866 |url=http://www.bartleby.com/210/8/062.html |title=August 6 St. Xystus, or Sixtus II., Pope and Martyr 『Volume VIII: August. The Lives of the Saints.』 |ref=but |accessdate=2015-09-17}}
 
{{ローマ教皇|第24代:257年 - 258年}}