「二階堂行親」の版間の差分

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父の死後、[[蘆名氏]]の養子になった兄に代わって[[二階堂氏]]当主となるが、十三歳で早世した。[[1585年]]没とする史料もある。
 
行親死後は盛義の未亡人阿南(おなみ)の方(大乗院)が須賀川城主となり、家老の[[須田盛秀]]が実質的な城代なって、天正17年(1589)に[[伊達政宗]]に攻め滅ぼされるまで領内を統治した。
 
行親には弟行久と行栄がいたとされるが、家督を継いだ様子はなく、詳細は不明である。