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「二階堂行親」の版間の差分
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2006年5月9日 (火) 15:15時点における版
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2006年5月12日 (金) 09:21時点における版
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3行目:
父の死後、[[蘆名氏]]の養子になった兄に代わって[[二階堂氏]]当主となるが、十三歳で早世した。[[1585年]]没とする史料もある。
行親死後は盛義の未亡人阿南(おなみ)の方(大乗院)が須賀川城主となり、家老の[[須田盛秀]]が実質的な城代
に
と
なって、天正17年(1589)に[[伊達政宗]]に攻め滅ぼされるまで領内を統治した。
行親には弟
に
行久と行栄がいた
とされる
が、家督を継いだ様子はなく、詳細は不明である。