「憲節皇后」の版間の差分

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『[[宋史]]』憲節皇后伝に記された、高宗の邢秉懿に対する「16年不娶」の愛の誓いは潤色が加えられている。高宗は帝位が動揺すると考えて父帝と兄帝の帰国は婉曲に拒んだが、邢秉懿に関しては積極的であったという。しかし『宋史』潘賢妃伝によると、高宗は側女の[[潘賢妃|潘氏]]([[趙フ|元懿太子]]の母)を皇后に立てようとも考えた<ref>呂好問の諫言のため沙汰やみとなった。その後、太子は薨去し、潘賢妃も帝にかえりみられなくなった。</ref>。また南宋では、高宗は逃走中にショックのあまり性的不能になった<ref>『朝野遺記』</ref>、あるいは[[ペドフィリア]]<ref>『鄧粛撰奏札子』</ref>との噂も立った。邢秉懿に対する夫婦愛は、それらを言い繕ったものである可能性がある。
 
邢秉懿の側本人に関しては、以下の逸話がある。
* [[曹勛]]が金から南宋へ逃亡した際、邢秉懿は耳輪の片方を託し、「耳輪のように夫婦相和すことを願います」と言づてした。