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{{エドガー・マルティネス賞}}
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|選手名 = ラファエル・パルメイロ
|英語表記 = Rafael Palmeiro
|所属球団 = シュガーランド・スキーターズ
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = Rafael Palmeiro.png
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* テキサス・レンジャーズ(1999 - 2003)
* ボルチモア・オリオールズ(2004 - 2005)
* [[シュガーランド・スキーターズ]] (2015 - )
|選出国 =
|選出年 =
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|選出方法 =
}}
'''ラファエル・パルメイロ・コラレス'''('''Rafael Palmeiro Corrales'''、[[1964年]][[9月24日]] - )は[[キューバ]]生まれの元[[メジャプロ野球選手]]([[内野手]])。左投げ左打ち。2015年現在は、独立リグ・[[アトランティック・リーグ]]の[[シュガーランド・スキーターズ]]に所属
 
MLB史上4人目の「通算3000安打&500本塁打」を記録した選手。
 
息子の[[パトリック・パルメイロ|パトリック]]も[[2008年のMLBドラフト]]で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]から22巡目指名されプロ入りしたプロ野球選手。
 
== 来歴 ==
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{{by|2004年}}にはかつて所属していた[[ボルチモア・オリオールズ]]と1年契約で再び移籍<ref name="chronology"/>。加齢等によりバットスピードが遅くなり左投手の速球に対応できなくなり、{{by|2003年}}は.282だった対左投手の打率は.189まで下がっている<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2005|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005|publisher=廣済堂出版|pages=64項|id=ISBN 978-4-331-51093-3}}</ref>。
 
シーズン開幕前の[[{{by|2005年]]}}2月、元大リーグ選手の[[ホセ・カンセコ]]が著書「[[禁断の肉体改造]]」を出版し、その中でパルメイロが筋肉増強剤の[[アナボリックステロイド]]を使用していると暴露した。パルメイロはこれにより2005年3月17日のアメリカ議会特別委員会での証言を求められた。委員会でパルメイロは、「まずこれを言いたい。私はステロイドを使ったことがない。以上終わり。これ以上何をどうはっきり言えというのかわからない。決してやっていない。(Let me start by telling you this: I have never used steroids, period. I don't know how to say it any more clearly than that. Never.)」と述べた<ref>{{Cite web|author=Associated Press|authorlink=AP通信|date=2005年8月2日|url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=2121659|title=Palmeiro docked 10 days for steroids|language=英語|work=[[ESPN|ESPN.com]] |accessdate=2009年2月12日 }}</ref>。ステロイド使用疑惑を明確に否定したこの証言は称賛を集めた<ref name="李">{{Cite web|author=李啓充|date=2005年8月4日|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/13772|title=パルメイロ ステロイド汚染の衝撃|work=[[Sports Graphic Number|Number web]]|accessdate=2014年7月6日 }}</ref>。
翌[[2005年]]7月15日には史上26人目の3000本[[安打]]を達成した。「3000安打&500本塁打」を達成したのは、[[ハンク・アーロン]]、[[ウィリー・メイズ]]、[[エディ・マレー]]に続き史上4人目である<ref name="espn2121659"/>。なお、この歴史的瞬間に守備位置の[[右翼手|ライト]]で立ち会った[[イチロー]]は、「なかなかこんな機会に巡り合うことはない。貴重な瞬間だった」「ヒットを毎年200本打っても15年かかる記録。彼は19年間やっているそうですが、それだけ長い間グラウンドに立っていることだけでもすごい」「とても尊敬している。自分が500本塁打打つなんて、おそらく練習でもありえないし、まさに偉大な業績だ」と彼を称えた。
 
シーズン開幕前の[[2005年]]2月、元大リーグ選手の[[ホセ・カンセコ]]が著書「[[禁断の肉体改造]]」を出版し、その中でパルメイロが筋肉増強剤の[[アナボリックステロイド]]を使用していると暴露した。パルメイロはこれにより2005年3月17日のアメリカ議会特別委員会での証言を求められた。委員会でパルメイロは、「まずこれを言いたい。私はステロイドを使ったことがない。以上終わり。これ以上何をどうはっきり言えというのかわからない。決してやっていない。(Let me start by telling you this: I have never used steroids, period. I don't know how to say it any more clearly than that. Never.)」と述べた<ref>{{Cite web|author=Associated Press|authorlink=AP通信|date=2005年8月2日|url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=2121659|title=Palmeiro docked 10 days for steroids|language=英語|work=[[ESPN|ESPN.com]] |accessdate=2009年2月12日 }}</ref>。ステロイド使用疑惑を明確に否定したこの証言は称賛を集めた<ref name="李">{{Cite web|author=李啓充|date=2005年8月4日|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/13772|title=パルメイロ ステロイド汚染の衝撃|work=[[Sports Graphic Number|Number web]]|accessdate=2014年7月6日 }}</ref>。
 
7月15日には史上26人目の3000本[[安打]]を達成した。「3000安打&500本塁打」を達成したのは、[[ハンク・アーロン]]、[[ウィリー・メイズ]]、[[エディ・マレー]]に続き史上4人目である<ref name="espn2121659"/>。なお、この歴史的瞬間に守備位置の[[右翼手|ライト]]で立ち会った[[イチロー]]は、「なかなかこんな機会に巡り合うことはない。貴重な瞬間だった」「ヒットを毎年200本打っても15年かかる記録。彼は19年間やっているそうですが、それだけ長い間グラウンドに立っていることだけでもすごい」「とても尊敬している。自分が500本塁打打つなんて、おそらく練習でもありえないし、まさに偉大な業績だ」と彼を称えた。ところが3000安打500本塁打を達成した直後の2005年8月1日、アナボリックステロイド使用の陽性反応が出た。パルメイロは「故意にステロイドは使用してはいない。なぜ陽性になったのかはわからない」とコメントしたが容れられず、結局MLBから10日間の出場停止処分を受けた<ref name="espn2121659">{{cite web |url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=2121659|title=Palmeiro docked 10 days for steroids|language=英語|work= ESPN.com |accessdate=2008年10月9日 }}</ref><ref name="chronology"/>。半年前のアメリカ議会特別委員会の証言ではステロイド使用疑惑を強く否定していたため、パルメイロのドーピング違反は全米で大きく報道された<ref name="李" />。2005年は前年以上に打棒が衰えていたが、出場停止処分からの復帰後はファンからの[[ブーイング]]によって精神的に疲労し、さらに不振におちいった。同年8月下旬の[[トロント・ブルージェイズ]]戦ではついに[[耳栓]]を使用するに至り<ref>{{cite web |url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/30/AR2005083001909.html|title=Palmeiro Tries Earplugs, But Can't Stop Slump|language=英語|work= [[ワシントン・ポスト|washingtonpost.com]] |accessdate=2008年10月9日 }}</ref>、結局本塁打・打点と共に過去15年で最低の成績に終わり、オフにはチームから契約を解除された。以後はプレーせず、この2005年シーズン限りで実質引退状態となった
 
2005年は前年以上に打棒が衰えていたが、出場停止処分からの復帰後はファンからの[[ブーイング]]によって精神的に疲労し、さらに不振におちいった。同年8月下旬の[[トロント・ブルージェイズ]]戦ではついに[[耳栓]]を使用するに至り<ref>{{cite web |url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/30/AR2005083001909.html|title=Palmeiro Tries Earplugs, But Can't Stop Slump|language=英語|work= [[ワシントン・ポスト|washingtonpost.com]] |accessdate=2008年10月9日 }}</ref>、結局本塁打・打点と共に過去15年で最低の成績に終わり、オフにはチームから契約を解除された。以後はプレーせず、この2005年シーズンで引退となった。
 
引退後5年が経過した[[2011年]]から、パルメイロは[[アメリカ野球殿堂]]の殿堂入り表彰の候補者となった。しかし殿堂入り投票では選出に必要な75%以上の支持を集めることができず、毎年10%前後の得票率に留まった。得票率が伸びない原因としては、上述したステロイド使用疑惑の影響が指摘されている<ref>{{cite web |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20110105&content_id=16392298&vkey=news_mlb&c_id=mlb |title=Cooperstown calls for Alomar, Blyleven |author=Barry Bloom |date=2011年1月5日 |language=英語 |work=[[メジャーリーグベースボール|MLB.com]]|accessdate=2014年7月6日}}</ref>。2014年の投票で得票率が足切り基準の5%を下回ったため、翌年以降の殿堂入りの投票対象から外されることが決まった<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/awards/hof_2014.shtml |title=2014 Hall of Fame Voting |language=英語|work=Baseball-Reference.com |accessdate=2014年7月6日 }}
</ref>。パルメイロは、野球賭博に関与して永久追放処分を受けた[[ピート・ローズ]]に続き、[[3000本安打クラブ|メジャーリーグ通算3000本安打]]を達成して殿堂入りを逃した史上2人目の選手となった。
 
[[2015年]]9月18日に独立リーグ・[[アトランティック・リーグ]]の[[シュガーランド・スキーターズ]]と選手として契約したことが発表される<ref>{{cite web |url=http://espn.go.com/mlb/story/_/id/13678957/rafael-palmeiro-play-sugar-land-skeeters-atlantic-league|title=Rafael Palmeiro to play alongside son for Sugar Land Skeeters|work= ESPN |accessdate=2015年9月18日 }}</ref>。スキーターズには息子の[[パトリック・パルメイロ|パトリック]]も所属し、シーズン終了まで親子で同じチームでプレーすることになった。
== 詳細情報 ==
=== 獲得タイトル・記録 ===
* [[シルバースラッガー賞]]:2回(1998年・[[一塁手]]部門、1999年・[[指名打者|DH]]部門)
* [[ゴールドグラブ賞]]:3回(1997年 - 1999年)
* [[エドガー・マルティネス賞|最優秀指名打者賞]]:1回(1999年)
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:4回([[1988年のMLBオールスターゲーム|1988年]]、[[1991年のMLBオールスターゲーム|1991年]]、[[1998年のMLBオールスターゲーム|1998年]]、[[1999年のMLBオールスターゲーム|1999年]])
* [[プレイヤー・オブ・ザ・マンス]]:4回(1993年7月、1998年6月、1999年6月・8月)
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{| {{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
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|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== 獲得タイトル・記録 ===
* [[シルバースラッガー賞]]:2回(1998年・[[一塁手]]部門、1999年・[[指名打者|DH]]部門)
* [[ゴールドグラブ賞]]:3回(1997年 - 1999年)
* [[エドガー・マルティネス賞|最優秀指名打者賞]]:1回(1999年)
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:4回([[1988年のMLBオールスターゲーム|1988年]]、[[1991年のMLBオールスターゲーム|1991年]]、[[1998年のMLBオールスターゲーム|1998年]]、[[1999年のMLBオールスターゲーム|1999年]])
* [[プレイヤー・オブ・ザ・マンス]]:4回(1993年7月、1998年6月、1999年6月・8月)
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* {{MLBstats |mlb=120191 |espn= | br=p/palmera01 | fangraphs=1266 | cube=rafael-palmeiro}}
{{Navboxes|title=業績
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