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{{日本の城郭概要表|
img = |
img_capt =|
img_width =|
name = 怡土城|
pref = 福岡県|
ar_called = |
struct = [[古代山城]]|
<!--tower_struct = なし|:ないのが当然なので不要-->
builders = [[大和朝廷]]|
build_y = [[天平勝宝]]8年([[756年]])|
revamp = |
rulers = |
reject_y = 不明|
remains =土塁・堀・門・城壁|
cultural asset = 国の[[特別史跡]]「怡土城跡」|
location =|
}}
 
 
'''怡土城'''(いとじょう)とは、8世紀[[奈良時代]]、[[福岡県]][[福岡市]]と[[糸島市]]との境にある[[高祖山]]の山腹西斜面に築かれた[[日本の城]]([[山城]])。国の[[史跡]]。
 
== 経緯 ==
[[続日本紀]]によると、[[遣唐使]]一行に加わること2度[[留学]]し、その後[[大宰府]]政庁の高官となった[[吉備真備]]が、[[孝謙天皇]]の命により天平勝宝8年(756年)6月築城に着手。途中吉備が[[東大寺]]造営で[[佐伯今毛人]]と交代し神護景雲2年(768年)2月、完成されたとされる。
当時唐では、[[玄宗 (唐)|玄宗]]皇帝に対する「[[安史の乱|安禄山の乱]]」が勃発し、朝鮮半島では[[新羅]]が日本の国使との会見を拒否するなど、対外的な緊張が高まり九州の防備が急務となっていた。
[[File:Ito Castle Ruin Stone Monument20100926.jpg|280px|right|thumb|怡土城跡碑]]
[[File:Itojyo 01.jpg|280px|right|thumb|怡土城の関門跡]]
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[[File:怡土城土塁 2.jpg|280px|right|thumb|怡土城土塁]]
 
'''怡土城'''(いとじょう)とは、8世紀[[奈良時代]]、[[福岡県]][[福岡市]]と[[糸島市]]との境にある[[高祖山]]の山腹西斜面に築かれた[[日本の城]]([[山城]])。国の[[史跡]]。
 
== 経緯 ==
[[続日本紀]]によると、[[遣唐使]]一行に加わること2度留学し、その後[[大宰府]]政庁の高官となった[[吉備真備]]が、[[孝謙天皇]]の命により天平勝宝8年(756年)6月築城に着手。途中吉備が[[東大寺]]造営で[[佐伯今毛人]]と交代し神護景雲2年(768年)2月、完成されたとされる。
当時唐では、[[玄宗 (唐)|玄宗]]皇帝に対する「[[安史の乱|安禄山の乱]]」が勃発し、朝鮮半島では[[新羅]]が日本の国使との会見を拒否するなど、対外的な緊張が高まり九州の防備が急務となっていた。
 
== 構造 ==