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'''怡土城'''(いとじょう
[[奈良時代]]に福岡市・糸島市の境にある[[高祖山]]の山腹西斜面に築城された。
▲'''怡土城'''(いとじょう)とは、8世紀[[奈良時代]]、[[福岡県]][[福岡市]]と[[糸島市]]との境にある[[高祖山]]の山腹西斜面に築かれた[[日本の城]]([[山城]])。国の[[史跡]]。
== 経緯 ==
『[[続日本紀]]』によると、[[遣唐使]]一行に加わること2度[[留学]]し、その後[[大宰府]]政庁の高官となった[[吉備真備]]が、[[孝謙天皇]]の命により天平勝宝8年(756年)6月築城に着手。途中吉備が[[東大寺]]造営で[[佐伯今毛人]]と交代し神護景雲2年(768年)2月、完成されたとされる。
当時唐では、[[玄宗 (唐)|玄宗]]皇帝に対する
[[File:Ito Castle Ruin Stone Monument20100926.jpg||280px|right|thumb|「怡土城址」碑]]▼
[[File:Itojyo 01.jpg|280px|right|thumb|怡土城の関門跡]]▼
[[File:怡土城土塁 1.jpg|280px|right|thumb|怡土城土塁]]▼
[[File:怡土城土塁 2.jpg|280px|right|thumb|怡土城土塁]]▼
== 構造 ==
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2007年の発掘によると、小石を詰めた堀が土塁の内側に配していたことがわかった。山の斜面からの雨水で土塁が決壊しないように排水した設備と見られ、大陸の山城築城にはない独自の工夫とみられる。
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== その他 ==
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