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以降は[[中部日本放送]]野球解説者・[[中日スポーツ]]野球評論家を務める。野球解説者が[[スポーツ新聞]]などに寄稿する場合、実際の記事は解説者から話を聞いた記者([[ゴーストライター]])が書くケースがほとんどといわれている。しかし近藤は、そのような場合自ら記事を書いた。中日スポーツの増田護記者がその理由を聞くと、「話したこととニュアンスが違う(記事になった)ことがあったんだ。それじゃあ自分で書けばいいんだから勉強もしたよ」と答えたという(『中日スポーツ』2006年[[1月3日]])。また、教え子の1人であった板東英二は近藤が「ディスクジョッキーみたいなものをやってみたい」という意向をもっていたことから、それも踏まえて「自分で(記事を)書かなけりゃボケますよ」とアドバイスしたという<ref>板東英二『プロ野球 今年は黙ってられないゾ』青春出版社、1995年、226頁。</ref>。なお、近藤の願望は中部日本放送解説者に復帰した直後の1992年4月に始まったCBCラジオのワイド番組『もぎたてのカボチャたち』のパーソナリティー就任で実現することとなった。
[[1999年]][[野球殿堂 (日本)|野球殿堂]]入り。
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