「別子銅山」の版間の差分

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== 概要 ==
最初の採鉱は海抜1,000メートル以上の険しい山中(旧[[別子山村]])であったが、時代と共にその中心は新居浜市側へ移り、それにつれて山の様相も変化していった。坑道は全長700キロメートル、また最深部は海抜マイナス1,000メートルにもおよび、日本で人間が到達した最深部である。
 
[[皇居]]前広場の公園内に現存する[[楠木正成]]像は、[[1900年]]([[明治]]33年)に別子銅山の[[銅]]で献納された。また、1900年(明治33年)の銅山川鉱毒事件など、鉱毒事件が数回発生した。