「第二次フランクリンの戦い」の版間の差分

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== 背景 ==
 
フランクリンの戦いは前日の[[スプリングヒルの戦い]]に続いて起こった。フッドのテネシー軍はテネシー州における北軍の一部を破ることができず、スコフィールドのオハイオ軍を取り逃がしていた。フッドはスコフィールドがさらに北の[[ナッシュビル]]にいる[[ジョージ・ヘンリー・トーマス]]少将のカンバーランド軍と合流できる前に、その軍隊を打ち破ろうと望んだ。もし北軍が合流してしまえば60,000名以上の軍隊になるはずだった。しかし、フランクリンで両軍が対峙した時、フッドは約38,000名の勢力だったのにたいし、スコフィールド軍は30,000名だった。
 
スコフィールド軍はスプリングヒルから北へ強行軍し、その前衛隊は午前6時頃にフランクリンに到着した。第23軍団を一時的に指揮していた師団長の[[ジェイコブ・ドルソン・コックス]]准将(後の[[オハイオ州]]知事)が直ぐに1863年の第一次フランクリンの戦い時に構築されていた胸壁の周りに強力な防御陣地を準備し始めた。防御戦はフランクリン市の北西から南東に掛けておよそ半円状に取り囲むように造られ、その反対側はハーペス川となっていた。